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接近する列車の運転士に対し黄色い旗を揚げ、作業員の待避完了を知らせる森野さん。
カバンには万が一の場合に列車を止める赤いランプが入っている

03 「何事もなく、通常どおり」が当たり前 次世代に継承される保線技術の誇り

保線とはその名の通り、列車が走る線路などを保守・管理する仕事である。保線を担当する技術者がいなければ、安全で快適な運行は到底、あり得ない。横浜保線技術センターでは今日も初動訓練が実施され、若い世代が真剣に学んでいた。

文/武田 洋子 撮影/吉場 正和 デザイン/スープアップデザインズ 企画・制作/ AERA dot. AD セクション

早朝の雨が上がり、青空が広がり始めた平日の午前9時。朝礼を終えた横浜保線技術センターに、一本の電話が鳴った。東京施設指令から事象発生の連絡──。そういう想定で、訓練は突然、始まった。

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ホワイトボードは重要。誰でも一目で状況がわかるよう、整理して書かねばならない

内容を知らされない 濃密な訓練を週2回実施

横浜保線技術センターが担当するエリアは横浜駅を中心に、橋本、海老名、洋光台、新子安と広範囲にわたる。担当線区は、東海道線、京浜東北線、横浜線、相模線、横須賀線などだ。同センターは、このエリア内の線路ばかりでなく踏切やフェンスに至るまで、円滑な列車運行を妨げるものがないよう点検・保守する。

この日、電話を取ったのは入社5年目の森野麻由さんだった。「訓練です」の一声のあと、信号トラブルの発生が伝えられる。オフィスの中に緊迫した空気が流れ、にわかに動きが慌ただしくなった。ホワイトボードが出され、その場にいるメンバーの中から選ばれた統括責任者が、速やかに役割を振っていく。第1陣が現場に向けて出発したのは、電話を受け取ったわずか4分後だった。

森野さんはオフィスに残り、情報を収集。定期的訓練の提唱者である竹脇和義所長が、これらの役割分担は、その日その場で決まるものだと説明してくれた。

「24時間体制でローテーションを組んでいますから、緊急事態が発生したときに誰がその場にいても臨機応変に動けるようにする、それも訓練の一環です」

現場へ急行した第1陣からの報告でレールの損傷が原因だと判明した。ホワイトボードには指揮命令系統図と共に、現在線路のどこに列車が存在するのかを示す図が貼り出され、余白は情報の書き込みでみるみるうちに埋まっていく。「現場で必要な装備は何を想定しているんだ!」「森野は今、何を判断するんだ?」、厳しい声が飛び交う。

40分が経った頃、訓練は始まりと同様、唐突に終了した。どこまで続けるのかは、所長などの管理者が判断する。反省点と課題を振り返り、一同は通常業務に戻っていった。この濃密な訓練が、横浜保線技術センターでは一昨年から毎週2回、実施されている。内容は毎回、社員には知らされない。若い世代に知識や技術をどう継承していくかは、重要課題の一つだ。訓練はそのための場でもある、と管理者である助役の目黒巧美さんは言う。

「保線に関するトラブルは、設備故障、天災など無数にありますが、知識だけではいざというときに動けない。個々が状況を想定して反射的に判断できるまで教えていきます」

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人の命に関わるため訓練中は厳しく指導する竹脇所長(右端)。その一方、普段は部下の作業風景を「緊張させないように」陸橋の上からそっと見守る一面も

褒められることはない でも安全を担う誇りがある

森野さんは現在、企画安全科に所属している。線路の保守・管理作業が安全に遂行されるよう、関係箇所と各種調整をするのが仕事だ。作業は終電から始発までの夜間を中心に、一晩でおよそ70~80件も計画されるという。工事が必要なものに限っても、年間1800件を下らないそうだ。森野さん自身も、修繕の立ち会いや踏切の点検責任者として現場を回る。主に線路の状態を保守・管理する目黒さんとは、共に行動する機会が多い。

「突発的な事象が起きた場合には、いち早く現場に駆けつけて状況を確認し、早期復旧に努めますが、普段は列車の乗り心地を向上させたり設備故障を防いだりすることで、安全で快適な運行を支えています」(目黒さん)

「お客さまと直に接する機会はありませんが、保線の成果ってきちんと数値に表れるんです。自分が計画した工事で乗り心地の検査数値が改善しているとうれしいし、やりがいを感じられます」(森野さん)

森野さんは大学で土木を専攻するなかで、現代構造物における維持・管理の重要性を知った。保守という分野の技術者になりたくて、生活に身近な存在だった鉄道を選んだ。職場は圧倒的に男性が多く、女性は2人しかいない。だが、昨今は土木を学ぶ女性も増えた。機材の軽量化など、男性との体格差をカバーする技術革新が進むなかで、森野さんの存在に背中を押され、「私も飛び込んでみよう」とあとに続く女性がきっと現れるはずだ。竹脇さんも、検査や管理、データ分析など様々な場面で、男性ばかりの頃より可能性の広がりを感じており、女性社員のさらなる活躍に期待を寄せる。

輸送障害の復旧に向けた訓練の成果は確かに実を結んでいる。昨年、国際的なスポーツ大会の前日に首都圏が大型台風に見舞われた。横浜保線技術センターは1週間前から風に強い機材を準備し、砂利に安定剤を撒き、周囲の巡回を増やしていた。そして迎えた当日、早期の運転再開のため尽力した結果、多くのお客さまに鉄道を利用して、観戦に訪れていただくことができた。しかし、そうした働きが表立つことはない。

「『何事もなく、通常どおり』が当たり前だからです。しかし、我々の仕事は安全の要です。若い世代にはぜひ、その誇りを持ち続けてほしい」(竹脇さん)

継承者である森野さんは、これから10年の展望として、訓練の経験を生かしつつ日々刷新されるシステムや設備を自分のモノにしていきたいと話す。では20年後の夢は、と尋ねると少し考え、竹脇さんや目黒さんのような管理者になっていたい、と答えた。

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目黒さんはトラブルが起こった現場に、いち早く緊急車両で急行する。現場の状況を見て、列車を通せるのか止めるのかという難しい判断を下す立場にある