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建築・

都市環境

ネパール

リジャルH.

Reportage

7学部17学科を擁する東京都市大学。
優れた専門性と実践力、国際性を備えた人材を輩出すべく、
個性豊かな教授陣が講義を行っている。
そんな先生たちにまつわるモノやコトを通じて
学びの原点を探る「ヒトモノリサーチ」。
今回はネパールで苦学して建築を学び、
建築気候や環境適応の国際的な研究を行う
リジャル ホム・バハドゥル教授に
スポットを当てる。

東京都市大学 ヒトモノリサーチ Tokyo City University 6

文/安住拓哉 ウェブデザイン/ヨネダ商店 アートディレクション/鍋田哲平 撮影/高野楓菜(朝日新聞出版写真映像部)
制作/朝日新聞出版メディアプロデュース部ブランドスタジオ 企画/AERA dot. ADセクション

リジャルH.B.

往復4時間
歩いて通学
道路や橋を
つくりたかった

 リジャル教授が生まれ育ったのは、ネパールの首都カトマンズの北西に位置するダーディン郡のサッレ村。電気も舗装された道もない小さな村だった。

 村には学校もなかった。片道2時間、往復4時間歩いて、隣村の学校に通った。そこまで時間をかけて中学校まで通ったのは、村の中でもリジャル少年くらいだったという。

 毎日往復4時間、未舗装の道を歩いて中学まで通いながら、漠然と「いつかエンジニアになって道路や橋をつくりたい」と考えていた。

 高校はさらに遠かったため、親戚の家に住んで勉強していた。そして、もっと勉強がしたいと思い、首都カトマンズに出た。

 残念ながら、実家は自分の進学のための費用を払ってくれるほど裕福ではない。まずはアルバイトを探して働き、エンジニアの勉強をするための学費を稼ぐ必要があった。

リジャルH.B.

日本とは違い、ネパールでは学費を自分で稼いでから大学に行くのは珍しいことではない。自分の手で道を切り開いてきたリジャル先生のまなざしは、どこまでもまっすぐだ。

アルバイトは
エレベーターと
アイスクリーム
建築家を志す

 当初はお金がなく、大学受験もかなわなかった。最初に働いたのはアイスクリーム屋。店員として朝から晩まで働いた。

 さらに学費を貯めるため、アイスクリーム屋以外にもう一つ仕事を探すことに。すると友人が「エレベーターボーイの求人があるから応募してみれば」と勧めてくれた。

「その頃の私はエレベーターに乗ったこともなければ、どんな乗り物かも知りませんでした。友人に『エレベーターって何?』と聞くと、『近くの病院にあるので、見てくればいい』と教えてくれました。

 病院に行って、ガードマンに『エレベーターはどこにありますか?』と聞いたら、『ほら、すぐそこにありますよ』とけげんな顔をされたのを覚えています。

 昇降操作のやり方を覚えるため、何度も病院のエレベーターを上へ下へと行ったり来たりしましたね(笑)」

ネパールのサッレ村

リジャル教授が育ったネパールのサッレ村。ネパールの首都カトマンズから直線距離で約50キロほどしか離れていないのに道路事情はよくない。自給自足で現金収入の少ない家庭も多く、子どもが農作業をするのは当たり前の環境だった。
Photo provided by Bar Peepal Scholarship Foundation

 エレベーターボーイの仕事にも、無事採用された。6時から14時まではホテルのエレベーターボーイ、14時30分から22時30分まではアイスクリーム屋のウェイターとして、1日16時間も働いた。

 ある日、エレベーターボーイとして勤めるホテルのオーナーが、偶然、リジャル青年の働くアイスクリーム屋にやってきた。

「君はここでも働いているの? うちのホテルにもアイスクリーム屋があるから、そこで働けばいい」

 それまでは2つのアルバイト先の移動時間が30分ぐらいかかっていたので、同じホテルなら時間を節約できる。浮いた時間は、大学進学の勉強のために使った。

 ホテルのアイスクリーム屋に、すでに大学を卒業していた友人が遊びに来た。大学ではリジャル青年が憧れていたエンジニアの勉強をしているという。その友達の専攻は機械工学。

「機械工学を勉強したその先は、工場で働くか、工場をつくるか。工場で働くと体中が機械油だらけになるし、工場をつくるにはお金がかかるよ」

「じゃあ、僕は大学で何を勉強しようかな……」

「建築の勉強をすればいいよ! 建築ならネクタイをしながら格好よくオフィスで働けるよ」

「よし建築だ!」

 友人とのこの会話が、建築工学の世界を志し、後に建築環境工学という研究分野に進むきっかけとなった。

リジャルH.B.

満面の笑みは、学生時代から変わっていないようだ。「ネクタイ、かっこいいな! よし建築だな!」と素直に決意を固めたリジャル青年のほほえましい顔が思い浮かぶ。

エレベーターで
日本人女性と
運命的な
出会い

 リジャル青年は、ネパールの大学(3年制のカレッジ)に進学した。進学後も、早起きして6時から9時まではエレベーターボーイをし、10時から16時までは大学で学び、18時から22時まではアイスクリーム屋で働いた。そして夜は勉強と、毎日忙しくて大変だった。

 そんな中、エレベーターボーイの仕事を通じて、ネパールに仕事に来ていた日本人女性と知り合った。女性が日本に帰った後も文通を続けた。

 日本人女性は、その後、ネパール語を勉強するために2年間、カトマンズに来た。ネパールでも二人は親交を深めた。

 当時ネパールでは、日本の小学校から高校までにあたる10年間の教育課程を修了すると、リジャルさんが通っていたようなカレッジに進むことになっていた。

 リジャルさんは「カレッジを終えたら、さらに専門的な勉強をしたい」と思い始めた。そこで、日本人女性に話した。

「もっと学びたいから、ユニバーシティ(高度な大学)に進学したいと思うんだ」

 日本人女性は答えた。

「だったら、日本のユニバーシティで勉強してみては? 身元保証人(※1)は、私の父に頼んでみるから」

 日本人女性のお父さんは、保証人を快く引き受けてくれた。いざ、日本へ。横浜の日本語学校で1年半、日本語の勉強をしたあと、都内の大学の建築工学科で学ぶことになった。

 なお、このとき親身に助けてくれた日本人女性がリジャル教授の現在の配偶者である。

※1 当時、日本へ海外からの留学に関する身元保証人制度があった(1996年に廃止)。現在でも、アパートを借りるときや大学受験、入学の際に保証人が必要になることはよくある。

象の神様・ガネーシャ

象の神様・ガネーシャ。インドやネパールには象の長い鼻をモチーフにした飾りも多い。ガネーシャは商売の神様、学問の神様として御利益があるといわれているが、リジャル教授の場合は恋愛成就にも御利益があった!?

象の神様・ガネーシャ

働きながら
勉強漬けの日々
博士号を取り
さらに英国で仕事

 大学で学びながら、大手スーパーでアルバイトをした。

「スーパーの仕事で、憧れだったネクタイを初めて締めました。就職のときに締めるつもりだったのに、一足早く。締め方がわからず、何度も練習しました(笑)」

 とにかく一生懸命働いてお金を稼ぎ、一生懸命勉強する。そんな生活スタイルは日本に来ても変わらなかった。勉強が好きで、得意だった。

 3年生、4年生のとき、ロータリー(※2)から奨学金を得ることができた。これで金銭的には非常に楽になった。

 1998年に卒業したあとも、学びは続く。京都大学の工学研究科で環境地球工学を専攻し、2000年に修士、2004年に博士号を取得した。

 その後はポストドクター(博士課程修了の研究者)として働き、2006年から2009年までの約3年間は英国のオックスフォード・ブルックス大学で研究員としてがんばった。

 英国から帰国し、東京大学生産技術研究所で1年3カ月の間、やはり研究員として働いた。

 2010年4月、東京都市大学の講師に採用、2017年からは教授に。現在は東京都市大学の中で10名もいない研究教授として、世界に向けて英語の論文を発信し、国際的にも高い評価を得ている。

※2 ロータリー…大学、大学院留学や専門教育のための奨学金を提供している財団。

リジャルH.B.

働く量は人一倍、学ぶ量は人の三倍かもしれない。エネルギッシュすぎて頭が下がる。

 リジャル教授の研究分野は、気候風土に適合した建築・都市環境計画だ。

 どうすれば快適かつエネルギー使用が少ない建物や都市をつくることができるか。地球環境にとっても非常に重要なテーマを研究している。

 世界各地の気候風土に適した伝統的な建築物を、フィールドワークなどを通じて解明することもリジャル教授の専門領域である。

「ネパールは北海道の2倍にも満たない小さな国ですが、南は亜熱帯気候、北に行くに従って温帯気候、冷帯気候と、世界の気候のほとんどが網羅されています。

 それぞれの気候風土によって住宅の形もさまざま。博士課程の頃、私はネパール各地を訪れて、人々がどのぐらい薪を燃やすか、各地で詳細なデータを取りました」

 冷房や暖房の技術が世界的に普及したのは1970~1980年代のこと。それ以前の人々は、気候に合った建物をつくることで、快適な生活空間を確保してきた。

 環境負荷を減らしながら、人々が快適と感じる建物や都市をつくることは、地球の温暖化が進む今の時代にも大きなニーズのある重要テーマといえよう。

象の神様・ガネーシャ

快適な都市環境を考察するにあたり、古きよき伝統建築にヒントを得て研究に生かすことも多い。

気候風土と
伝統建築
人々の快適性と
地球環境

「人々が快適に過ごせる建築や都市づくりはどうあるべきか。また人間の側はそうした建築・都市環境をどのように感じ、どう適応しているのか。私の生涯の研究テーマです」

 人は寒さや暑さに適応するために、服を選んだり窓を開閉したりする。

 寒冷地の家は壁が厚く、窓が小さい。暑い地域に住む人は換気や放熱のしやすい開放的な家に住む。

「たとえば岐阜・高山の白川郷では、冬の積雪に備えて屋根が急勾配になっています。一方、ネパールのヒマラヤの裏側では雨がほとんど降らないので、泥でつくった平らな屋根の下でみんなが暮らしています。

 イランのような砂漠地帯では住宅を高い塀で囲んで中庭をつくったり、建物と建物をコンパクトに並べたりすることで、砂が入らず涼しい日陰をつくる工夫がされています。

 さまざまな気候風土に適応するための、昔ながらの人々の知恵は、快適で消費エネルギーの少ない建築や都市の設計に役立つはずです」

 リジャル教授の研究室には留学生も多数在籍している。研究室では、大学3年生になったら論文を執筆して国内外に発信することを勧めている。

「どこにでも同じような近代建築をつくってしまうことには問題点もあります。たとえば東京には、気持ちのいい季節でも窓が開けられないような、気候風土が考慮されていない建物が多くあります。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で自然換気が注目されたことで、これからの建築は変わるかもしれません」

ネパール料理

リジャル教授の専門分野について少し理解できたところで、ネパール料理をご紹介。インドカレーと似たカレーは、チウラという、つぶして干した米が主食になることも多い。どの料理も巧みにスパイスが使われている。

「サモサ」(ジャガイモとひき肉のスパイシーな揚げギョーザ)、小籠包(しょうろんぽう)のような「モモ」、ひき肉が入ったパリパリおやつの「パニプリ」

リジャル教授が教えてくれた、ネパールらしい料理ベスト3。写真右上から「サモサ」(ジャガイモとひき肉のスパイシーな揚げギョーザ)、小籠包(しょうろんぽう)のような「モモ」、ひき肉が入ったパリパリおやつの「パニプリ」。パニプリはスープを注いでいただくのが定番。

ネパールに
学校建設
母国の学習環境
向上に尽力

 リジャル教授は母国ネパールの学習環境向上にも積極的に取り組んでいる。

「博士課程の研究でネパールに環境調査に入り、生まれ育った村を訪れたとき、ある子どもから言われました。

『学校に行きたい。でもノートや文房具を買うお金がない。助けてくれませんか』と。

 勇気を振り絞って、私に頼んだのだと思います。村の8~9割の子どもたちは学校に行けない状況でした。なんとかしたい。でも自分のお金だけでは足りない。そこで日本のみなさんの協力を募ることにしました」

 学生時代に知り合った、千葉県で塾を運営しながらフィリピン人の支援活動をしている石田和子さんに事情を話すと、支援に賛同してくれた。その寄付金で、生まれ故郷のサッレ村に小学校を建設することができた。

 2003年には石田さんたちとともにNPO法人「バル・ピパル奨学基金」を設立。
「バル・ピパル」とは、ネパールの山道にある旅人のための休憩所に目印として植えられた菩提樹のこと。

 バル・ピパル奨学基金では、寄付金を集めて学校の運営費用や給食サービスの提供をするなど、数々の支援事業を行っている。

ネパールの給食メニュー

ネパールの給食メニューの一つ、ゆで卵と味付け豆。子どもたちはベンチで給食を食べる。ほかに人気のメニューは甘さ控えめのライスプディング、焼き飯など。
Photo provided by Bar Peepal Scholarship Foundation

ネパールの給食風景

大地震のときは
クラウド
ファンディングで
学校を再建

 2015年4月、ネパールで大地震が発生し、全土に甚大な被害が出た。リジャル教授たちがつくった学校も半壊した。

 リジャル教授はクラウドファンディングで資金を集めた。支援に協力してくれる団体からの寄付金もあり、壊れた校舎の一部を再建できた。

 自分の生まれた国、ネパールから世界に飛び出す人材を育てたい。そのためには「教育が最も大切」というのがリジャル教授の思いだ。

地震でひび割れた校舎

2015年に発生した地震でひび割れた校舎と、再建後の校舎。村の多くは地震を想定していない構造なので、大半が半壊以上の被害に。リジャル教授はクラウドファンディング(ネット上で資金を募る)で資金を集め、再建に成功した。
Photo provided by Bar Peepal Scholarship Foundation

再建後の校舎

Photo provided by Bar Peepal Scholarship Foundation

地震でひび割れた校舎

新しい校舎で学ぶ子どもたち。家に帰れば放牧の手伝いなどで忙しいため、勉強との両立が大変。
Photo provided by Bar Peepal Scholarship Foundation

再建後の校舎

最後にネパールの国旗をバックに撮らせていただいた。「今週の土日も仕事になりそうです」と楽しそうに語っていた。

地震でひび割れた校舎

今回の取材で撮影に使わせていただいた、ネパール料理店の「ソルマリ」(東京・大久保)。味もサービスも満点! 住所:東京都新宿区百人町2-20-23

Postscript

 流暢(りゅうちょう)な日本語で環境建築について語ってくれたリジャル教授。穏やかで誠実な人柄、他人に対するやさしい気持ちが伝わってきました。一生懸命働いて大学進学の学費を稼いだことを当たり前のように話していらっしゃいましたが、きっと尋常ではない努力をされたことと思います。東京都市大学から世界に向けて研究成果を発信していくことの重要性を語る真剣な表情に、リジャル教授の秘めたる情熱を感じました。

Profile of Hom Bahadur Rijal

リジャル
ホム・バハドゥル
東京都市大学 環境学部
環境創生学科 教授
環境情報学研究科長
リジャル ホム・バハドゥル1969年、ネパール生まれ。1992年、トリブバン大学工学部建築学科卒業。1998年、芝浦工業大学工学部建築工学科卒業。2004年、京都大学工学系研究科環境地球工学博士課程を修了し博士号を取得。2010年、東京都市大学講師。2017年、教授。2022年から研究科長。2022年には、執筆した論文「日本の住宅における環境調整行動を予測するための適温的温熱快適性に基づく窓開放アルゴリズムの開発」の引用数が多く社会的影響も大きいことを評価され、日本建築学会の「Japan Architectural Review」誌で「Most Cited Paper Award 2020」を共同受賞

※この記事の内容、事実関係は2023年3月現在のものです(AERA dot.掲載日…2023年3月15日)

提供:東京都市大学