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「建築」

グランド

ピアノと

手塚貴晴。

Reportage

多摩川沿いの世田谷にメインキャンパスを構える東京都市大学。
1929年に創立され、現在では、理工系を中心に
7学部17学科で先進的な教育・研究が行われている。
そんな大学の学風を体現するユニークな教授陣に
愛用品を通して人生観を語ってもらう「ヒトモノリサーチ」。
今回は、同大学の卒業生であり世界的に有名な建築家でもある
建築都市デザイン学部の手塚貴晴教授に話を聞いた。

東京都市大学 ヒトモノリサーチ Tokyo City University 2

文/安住拓哉 ウェブデザイン/ヨネダ商店 アートディレクション/鍋田哲平 撮影/東川哲也(朝日新聞出版写真部)
制作/朝日新聞出版メディアプロデュース部ブランドスタジオ 企画/AERA dot. ADセクション

手塚貴晴

ピアノと
建築は
とても
似ている

 都内とは思えない見晴らしのいい高台の、これ以上ないほど大きな窓から、多摩川や遠くは丹沢山系まで見渡せる。

「のこぎり屋根の家」という作品名のついた自宅の広々としたリビングで、手塚貴晴教授はグランドピアノを弾いてくれた。

「子どもの頃からピアノがものすごく好きで、習うようになりました。毎日のように弾いていたら、12 歳のとき、親に『勉強しないなら習うの、やめなさい』と」

 ピアノという楽器は、ちょっと弾かないとすぐ技量が落ちるという。

「でも私は、どんな難しいことでも『これは絶対にできないだろう』とは思わない性格なんです。大学のときに再びピアノを弾くようになり、今では子どもたちと一緒に演奏会にも出ています」

 なぜピアノを始めたのか?

「家族や親戚がピアノを弾いていたので。たたくと音が出るのがうれしくて仕方なかったことを覚えています。私がピアノで大失敗しても『下手だね~』って言われるだけで、誰にも迷惑をかけないところもいいですね(笑)」

自宅リビングの中央に置かれたグランドピアノ

仕切りが一切ない自宅リビングの中央に置かれたグランドピアノ。夫婦で設計した「のこぎり屋根の家」という建築作品でもある自宅は、手塚教授のアイデアや創造の源泉だ。

ピアノを弾く手塚教授

もともとは子どもたちのために買ったピアノだが、今では手塚教授が一番たくさん弾いているそう。見事な腕前だった。

 まるで少年のように語る、手塚教授が愛してやまない作曲家はショパン。世界的に有名な建築家としてメディアなどのインタビューを受けるときも、「憧れている建築? それはショパンです。ショパンを超える建築はない」と答えている。

 昔は手が小さくて弾けなかったショパンの「幻想即興曲」も、今では得意な曲の一つになった。

「ピアノは自分がものを考えるときの指標になっています。私の専門分野である建築は、芸術と言われることもありますが、構造力学や物理学、気候条件、人々の生活のこともきちんとわかっている必要があるんです。

 それはピアノも同じ。いろいろとでたらめでは、曲が弾けません。ピアノと建築は構成要素がそっくり。合理性と感情が重なっている感じがとても似ているんです」

 いつの間にか、アイデアが煮詰まるとピアノを弾くようになっていた。もちろん気分がいいときも、落ち込んでいるときも。

「中でもショパンの曲が好きなんです。弾くと、ショパンが私を景色のいい場所にいろいろ連れ回してくれて、最後にはまた家まで連れて帰ってくれるような気分になります」

青い小物たち

僕は青、
自転車も青、
妻は赤、
子供は黄と緑

 取材当日も青いTシャツを着ていたが、手塚教授の身の回りのものは「青色」オンパレード。靴下も青かった。下着も青だという。わかりやすさと色をそろえると見た目にも美しいことから、家族で持ち物の色分けを始めた。

 武蔵工業大学(現東京都市大学)時代に知り合った、妻であり建築家でもある由比さんは、赤。青と赤の組み合わせは建築の世界では手塚夫妻のトレードマークであり、夫婦共同で主宰する手塚建築研究所のロゴにも使われている。お子さんは黄色と緑。

 手塚教授が大学時代にのめり込んだという自転車も、今は青だ。北海道から鹿児島まで、沖縄を除く都道府県すべてを自転車で一周した。イギリスの建築事務所で働いていた修業時代もロンドンから地方都市のケンブリッジやバースまで長距離自転車旅行に出かけるほどだった。

青に塗られた「ランドナ―」(ツーリング用自転車)

愛用の自転車。青に塗られた「ランドナ―」(ツーリング用自転車)は部品から組み立てたオリジナル。フレームは海外でも高い評価を得ている日本の「ケルビム」というブランド、リム(ホイールの外枠)はフランス製のスーパーチャンピオン。部品と組み立て費用で35万円ほど。

フランスのユーレ社の部品

部品は、今はなきフランスのユーレ社の製品などを指定。長年、自転車に乗ってきたからこそ「この部品が自分に合っていて、好き」という結論が出ている。

「今でも自転車は手放せません。東京都市大学でも自転車部の顧問をしています。建築と自転車は全く関係ありませんが、自転車は自分の体の延長のようなもの。

 たとえば、ヨーロッパまで飛行機に乗って行くと途中のシベリアについては何もわからない。でも自転車で東京から仙台まで2日ぐらいかけて行くと、その道中の景色を全部思い返すことができます。

 ものすごく体が丈夫になるのも自転車のいいところ。1日十何時間も自転車で走り続けても、心臓がドキドキするようなことはありません。ストレスもなくなります。私は時折、学生と腕相撲をしますが、そんなに負けない!」(と、筋肉モリモリポーズ)

 自転車の種類はロードバイクかクロスバイクかを問うと、「ランドナーです」。フランス発祥で、日帰りや2~3泊のツーリングに適している自転車だという。

「大学時代は、先輩からもらったフレームやリム(ホイールの外枠)など、部品を集めて自分で組み立てていました。最近はさすがに忙しいので、昔から使ってきた部品を大学の近所の自転車屋さんに預けて、一から組んでもらっています」

僕には
建築家の〈種〉が
植え付け
られていた

 ピアノ、青い自転車、建築……。一見、何の関係がないようなものも、手塚教授というユニークな個性の下では、妙にぴったりマッチしているように思える。

 父親が大手建設会社に勤める建築家だったこともあり、手塚教授は子どもの頃から図面や模型に囲まれた生活を送っていた。しかし、最初から建築を志していたわけではなかった。

「東京都市大学の前身である武蔵工業大学に入ったのは、付属高校に通っていたから」と手塚教授は笑いながら語ってくれた。

「建築学科に入学してみたら、鉄骨部材を使った独創的な建築で知られる広瀬鎌二(けんじ)先生をはじめ、そうそうたる教授陣がいらして、ものすごくおもしろくて。

 教わる内容がおもしろいうえに、ほかの学生が徹夜しないとできないような課題でも、なぜか私にはすぐにできてしまったんです。

 きっと、昔から建築家の〈種〉が自分の中に植え付けられていたんでしょう。まるで『種から芽が出た』といった感じで、建築にのめり込みました」

アイデアは
どこにでも
当たり前のように
転がっている

 海外での留学や武者修行のあと、日本に帰国した手塚教授。妻の由比さんと共同経営する手塚建築研究所で手がけた作品の数々は国内外の賞をいくつも受賞している。

 手塚建築研究所が設計監理した東京・立川市の「ふじようちえん」は、2017年にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界環境建築賞を受賞。イギリスのガーディアン紙による「21世紀最高の建築25点」に選ばれた。

 そんな「ふじようちえん」で最も目を引くのは、屋上にある外周183mの巨大デッキ。子どもたちが自由に走り回ることができる空間だ。

「ものすごくいい園長さんの熱意に押されて、50個ほど建て替え案を提出しました。屋根の上を子どもたちが走り回るアイデアを思いついたのは、幼稚園がある立川へ向かう中央線に乗っていたときです。

 電車の中、ちょうど武蔵小金井駅あたりで、まだ0歳と3歳の幼いわが子たちが、自宅のテーブルの周りを飽きもせずにぐるぐる回っている情景がふと思い浮かんで……。それをモチーフに作ったデザインが、あの設計になったんです」

「ふじようちえん」には、もともと巨大な木があった。切り倒さず、そのまま生かす形で設計しようと思った。結果的にほかにはないものが出来上がった。

 アイデアは当たり前のようにどこにでも転がっている。おもしろいことを生み出せるかどうかは、それに気づくか気づかないかだけの違い、というのが手塚教授の持論である。

ふじようちえん

手塚建築研究所の代表的な作品「ふじようちえん」は開放的な屋上のデッキが特徴。丸い屋根の上を子どもたちがぐるぐる走り回る情景を想像しただけで、あたたかい気持ちになる。photo by手塚建築研究所

ふじようちえん内の大きな木

大きな木がコンクリートをぶち抜いて上まで。子どもたちは大人になっても、この木を思い出すだろう。photo by手塚建築研究所

参加者が
入ることで
初めて完成
する空間

 そんな手塚教授が設計に携わった最近の作品としては、2020年6月に東京・立川市の新街区「GREEN SPRINGS」内にオープンした「PLAY! MUSEUM」と「PLAY! PARK」。子どもも大人も楽しめる美術館と屋内広場だ。

「私が館長を務める『PLAY! PARK』のコンセプトは、“子どもを〈お皿〉の中に入れて遊ばせる”というものです。

 皿のような形をした空間の中で、子どもたちは皿のフチをぐるぐる駆け回ってもいいし、展示された新聞紙をビリビリ破ったり、風船をつなげたりして遊んでもいい。

 子どもを遊ばせるための場所を作ったら、思わず親も一緒に遊んでしまった——。そんな、参加者がその中に入ることで初めて完成するような空間を目指しました」

PLAY! PARK

やわらかなフォルムの〈お皿〉で自由に遊べる。風船も子どもの大好物だ。コロナ禍による人数制限の中、1年で10万人の親子が訪れ、そして癒やされた。Photo by PLAY!

PLAY! PARK

紙を破る、ぶら下がる……。のびのびと、自由気ままに。Photo by PLAY!

これから
私は日本一の
授業を
します

「建築は単なるモノではなく、作ることによって人の生活や社会を変える力を持っている」、それが手塚教授の建築に関する哲学だ。

「東京都市大学の建築学科の学生には、『これから私は日本一の授業をしますので、日本一の学生になってください。嫌な人は出て行ってください』と最初に言います。

 建築は、人に言われて嫌々やるものではありません。『すごく大事なのは、自分が何をやりたいか、ではなく、自分の作るものが何に役立つかを一生懸命考えること。

 建築って、ものすごく世の中の役に立つものです。世の中の役に立つことをすれば、自然とみんながあなたを欲しがるようになります。とても楽しいですよ』。私は学生に、そう教えています」

 手塚教授は、子どもが走り回れる「ふじようちえん」のような建築物ばかりを設計しているわけではない。東京・渋谷駅前に2019年開業した複合施設「渋谷フクラス」など、高層ビルの建築設計も手がけている。

「私の建築はどれも、『自分が、これをやりたい』というものではありません。相手からの依頼を受けて、『この人のために何の役に立てるかな』と楽しく話をしていると、『なるほど、こういうことをすると世の中はよくなるのか』というものが自然と出来上がります。それが建築のおもしろさです」

Postscript

世界的建築家と聞いて少々緊張してお会いしましたが、手塚教授の雰囲気を表現すると「偉ぶったところが一つもない青Tシャツのおじさん」。撮影中に弾いてくださったピアノはやわらかい音色で、聞きほれてしまいました。自転車で鍛えた体は筋骨隆々で、とても50代後半とは思えません。自身が卒業した大学の教壇に立つ手塚教授を見ていると、「これが東京都市大学の学風なのか」とワクワクしました。教授ではあっても視線は少年のように純粋、そして真剣そのもの。「こんな先生に教わりたい!」と素直に思える、魅力的な方でした。

Profile of Takaharu Tezuka

手塚貴晴 教授
東京都市大学 建築都市デザイン学部
建築学科教授
手塚建築研究所主宰
1987年、武蔵工業大学工学部卒業。1990年、アメリカ・ペンシルバニア大学大学院工学研究科修士課程修了。1990年から1994年までイギリス・ロンドンの有名建築事務所、リチャード・ロジャース・パートナーシップに勤務。1994年、妻・手塚由比さんと手塚建築企画を共同設立(1997年、手塚建築研究所に改称)。佐賀県「副島(そえじま)病院」、屋根の上にも生活空間を作った「屋根の家」(神奈川県秦野市)、冬は雪の下に埋もれる新潟県十日町市の里山科学館「越後松之山『森の学校』キョロロ」など初期の作品から高い評価を受ける。1996年に武蔵工業大学(現東京都市大学)の専任講師、2003年に同准教授を経て2009年より現職。建築デザイン、エコロジー、都市をテーマに教育・研究を続ける。

手塚貴晴 教授

※この記事の内容、事実関係は2021年10月現在のものです(掲載日…2021年11月1日)

提供:東京都市大学