安田さんの解放について、取材に応じる安倍晋三首相(2018年10月24日当時)
安田さんの解放について、取材に応じる安倍晋三首相(2018年10月24日当時)

 私は2018年3月末以降、中国新疆ウイグル自治区から来たというウイグル人だけで運営されている施設に拘束されていた。2018年9月上旬には看守から「我々のリーダーが今、トルコのイスタンブールに行ってお前の話をしている。きっともうすぐ解放だ」と言われていたが、同月半ばころにはそうした話はされなくなり、私がたずねても気まずそうに黙り込むだけになった。同29日にはそれ以前に監禁されていたアラブ人運営の巨大収容施設に移された。IHHはトルコと言語や文化につながりがあるウイグル人の支援をしてきた。IHHの動きと私の周囲の様子の関連性は全く不明だが、この時期にIHH以外に具体的な動きが何も表面化していないのも事実である。

 IHHの言う「数日」が過ぎても私が解放されなかったことから、私の妻は外務省の担当者に改めて「なぜIHHの話を進めてくれなかったのか」と問うている。担当者はこれに「我々は信頼できるルートを通して対応をしており、同時に複数のルートを使うのはよくない」と説明している。「それでもIHHのルートで先に解放になるならそれでよいのではないか」とさらに問うと、「そうなっても対応できるように準備はしている」と述べたという。つまり、それまで否定してきた「不確かな情報」よりも確度の高い情報とみなしていたということだ。

 その「準備」とは具体的に何だったのか、外務省をはじめ日本政府は一切明らかにしていない。しかし、私の手元にある「帰国のための渡航書」から垣間見ることができる。拘束者に旅券を奪われた私を帰国させるために臨時に発行された片道用の「渡航書」だが、その発給日が「2018年9月14日」になっているからだ。

 外務省はその日に「渡航書」を発給した理由も明らかにしておらず、明らかになっている事実をもとに考察するしかない。

 解放につながる何らかの情報がなければ「渡航書」を発給しても無駄である。トルコへ解放された翌日に身元確認に来た在トルコ日本大使館員は私に「すぐ帰国してもらいます。渡航書は過去の旅券申請時のデータを使います」と言っていた。すでに発給されていたことを知らなかったのだろうが、一般論として、何の根拠もなく用意しておくようなものではないということは分かる。発給の日付や、ほかに具体的な「解放」の動きが何もなかったことから、外務省が「IHHによる解放」を視野に入れて発給したと考えるのが自然だ。

「複数のルートを使うのはよくない」と言いながら「IHHによる解放」にも備えたのは、外務省が頼っていた「信頼できるルート」による具体的な交渉が進んでいなかったからだろう。

 3年3カ月も解決していなかったにもかかわらず、それなりの確度があると外務省自身がみなした「IHHによる解放」の可能性を無視どころか制止したのは、「信頼できるルート」への配慮に加え、邦人保護の“部外者”である公安調査庁による解決は外務省のメンツにかかわる問題になるため、正式に認めるわけにはいかなかったからではないか。

 私を救出できる可能性を探ることよりも、「信頼できるルート」への配慮や自らのメンツを優先させた外務省は、実際には何をしていたのか。

 メディアは「身代金が払われた」と盛んに報道し、それをもとに様々な批判が巻き起こったが、現実には身代金支払いどころか、交渉すら行われていないという実態がわかってきた。【後編】はその詳細を報告する。

(安田純平)

◆やすだ・じゅんぺい 1974年生まれ。一橋大学卒業後、1997年信濃毎日新聞入社、脳死肝移植問題などを担当した。 …… 2003年に退社し、フリージャーナリストに転身する。山本美香記念国際ジャーナリスト賞・特別賞受賞。近著に『自己検証・危険地報道』 (集英社新書)など。