自分が発達障害だと知ることは「自分のトリセツ(取扱説明書)」を得ることかもしれません。もちろん「あなたは発達障害です」と告げられるのは、少なからずショックを受けます。「何年も受けいれられなかった」という声も聞いてきました。それでも生きづらさの解消は「自分自身を正しく捉えることから」とも言われています。そのひとつに発達障害の診断も位置づけられるのだろうと思います。

 一方で恐ろしいこともわかりました。正直に言いますと、診断を受けたことで、私自身が発達障害に対する差別意識を持っていることがわかりました。発達障害の診断が降りる直前、すごく悩みました。もしも発達障害だとわかったら、いっしょに働く社員はどう思うだろうか。「障害を持った編集長とは働けない」「上司だけは『ふつう』であってほしい」「どうやって付き合えばいいかわからない」、そんなふうに思われないだろうか。かなり怖かったんです。しかし、そんな恐怖心こそ差別意識の裏返しです。発達障害の人とは「働きたくない」「ふつうがいい」「付き合い方がわからない」と私が思っていたから怖いのだ、と。

 悩んだ結果、診断結果や考えていたことをすべて社員に打ち明けました。みんな快く事態を受け入れてくれました。そして「発達障害の当事者としても発信を」とも言ってくれました。私の差別意識は、発達障害に対する無知ゆえです。無知ゆえに差別し恐れ、長年の取材から慢心していました。しかし素人では見抜けません。発達障害は専門家が複数回の診察と検査によって診断するものです。

 一方で、なんでもかんでも本人の特徴を「発達障害」と括ってしまうことにも抵抗があります。発達障害の名前はひとり歩きしている感もありますし、偏見につながることもあります。実際、私も差別意識を持っていました。ただし、一定の知識は持っておく必要があり、心配だったり、困っていたりすれば受診してみるのもいいかもしれません。また、子どもが発達障害の疑いがあればいっそのこと親子で検査を受けてもいいかもしれません。診断を受けなくても支えるための勉強になるかと思います。私も「自分で受けてみた」というのがとても勉強になりました。

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