■メディアの切り込み力

安田:「更問(さらとい)に答えてください」という記者からの要望もガン無視したり、結局答えをはぐらかしたもん勝ち、という状況ですよね。記者クラブ側も許してしまっているという面では、メディアの問題でもあると思います。

武田:菅首相は、10の質問を受けるより9の方がいいし、8の方がいいし、できれば3に済ませたいという考え方です。「オレ、やりたい」って言うんだったら、10を20や30にして、その質問に答えた上でやりたいことを敢行するというなら、まだわかる。それをしないで、とにかく逃げ切ることで大きなことをやろうとしている。これが不信感の増大に繋がるんです。

安田:今日話していることって、そもそも政権や組織委員会が人間を大事にできていないよねってことだったと思うんです。ウィシュマさんのこともそうですし、赤木ファイルにしてもそうです。人が亡くなっているのにもかかわらず、真相の鍵となるものを開示してこなかった。オリンピックで関連することであれば、長年住んだ場所を追われてコミュニティーがバラバラにされてしまう人たちがいる。

 このオリンピックの正当性を担保するためにアスリートが引き合いに出されていましたが、人間を大事にできない政権や組織にアスリートを大事にできるわけがないと思うんです。単なる建前にされているのがそういう姿勢の中だけでもわかりますし、それはアスリートの尊厳も傷つけることだと思うんです。「アスリートに罪はない」「アスリートのために」という言葉に惑わされがちだと思いますが、それって本当にアスリートのことも考えているのでしょうか。

 アスリートのためにという強く響くパワーワードに惑わされないこと、その言葉の裏側に何を彼らははぐらかしたいのかということまで目を向けること、まさにメディアの切り込み力が問われることだと思いますが、情報の受け手としても強く響く言葉にこそ、注意深くいるべきだと思います。

武田:オリンピックというのは成功・失敗の判断基準があるわけではない。開催した人が成功しました、って言えば成功になってしまう。オリンピックを開催することで、積み上がった諸問題をなかったことにしたいという思いがあるのは明らかです。今後も、大阪・関西万博だのリニア開通だの、ビッグビジネスが続く。大きなことで、未解決の問題を漂白してしまおうとする国の体質があります。

■問題の再陳列が大事

武田:だからこそ、オリンピック終了後に、問題を再陳列する行為が大事になってくるのではないかと思っています。「ところで、東京五輪招致を巡って問題になった、あの2億数千万円のペーパーカンパニーへの賄賂疑惑はどうなったのか」って聞けばいい。「ところで、なんでこれだけお金かかったんですか」「ところで、福島原発はアンダーコントロールされているってあの時点で言ったの、嘘でしたよね」って問えばいい。これはオリンピックだけじゃなくて、どんな社会問題であっても同じことだと思います。「華々しいお祭りをやって、根底にあった問題を忘れる」、これを繰り返しては絶対にいけないのです。

(構成/編集部・三島恵美子)

AERA 2021年7月26日号より抜粋