●命のバトンを渡す存在

──蜷川さんと実花さんのご長男は、特別仲良しでしたね。それまで家族を入れなかった稽古場に来るのさえ、歓迎したというエピソードがあります。

 最後は、父にとって息子が希望でした。普段泣き虫の息子ですが、お見舞いに行くと帰り際、管だらけの父に「夢で会おうね、チュッ」と必ずハグして天使みたいだった。父は「君の大きくなった姿を見られないのが心残りだ」と何度も言ってましたから。生まれてからも、意思疎通できるようになるまでは興味を示さなかったんですけどね。2人目のときは、長男に「来て」と言われて、薔薇を持って車いすで病院に来てくれた。

 去年9月に出産後、2カ月ほど実家にいました。あるとき次男が夜泣きして、2階であやしてたんです。そしたら階段につけた昇降機がカタカタ鳴って、いすに座るのがやっとの父が上がってきて、「大丈夫?」って言ってくれた。それにはグッときたかなぁ。あれだけ尖って生きてきた人が「幸せってこういうのを言うのかもね」と。やりたいことをやり通して、外では家庭はないみたいなふりをしていながら、父はめちゃくちゃリア充だったんですよね。

 生命の始まりと終わりって、本当によく似てるんですよ。自分じゃ起きられないし、食べるものも似てくるし。子どもの顔を拭いて家を出た私が、病院に行くと父の顔を拭いていた。

 父が80歳、私が43歳で、子どもが0歳。仕事が大好きで、ものを創るために私はいるんだと思っていたところがありました。でも、父との最期の時間で、もうひとつの側面に気づいた。自分は命のバトンを渡す存在としているんだ。そう体感する日々でした。

(ジャーナリスト・島崎今日子)

AERA  2016年7月4日号