3年くらい前、父に「俺は本当にお前に何もしてあげられなかった」と言われたことがあります。確かに、21歳で家を出てから経済的援助は受けてないし、仕事で口添えしてもらったこともない。でもたぶん、5歳まで言われ続けたことが下地になっているんですね。

 20年一緒に暮らした中で、遊ぶこともなく勉強し、努力し続ける父の姿を見ていられたのは大きな財産です。私が今こうしてやれているのは、幸雄イズムが染みついているからで、それは本当にありがたい。道を阻まれたことは一度もなかった。叱るときも理詰めだから反発できないし、優しいし。父親としても、とても素敵な人でした。

──仕事ぶりも父親譲りで。

 朦朧としながらも、父は「これから僕は完璧な演出家になる」と言っていましたが、父も私も仕事というよりやりたいからやっているんですよね。

 父の命は本当は香港で倒れたときに終わっていたと思う。それから亡くなるまでの時間は、何本かの新作も、家族との時間も、奇跡のような神様からのプレゼントでした。

 もう見るべきものは見たというか、父がいなくなったときの布石は自分なりに打っていました。下の子どもを産んだことも含めて。父が倒れてから「もう一人ほしい」と思うようになったんです。新しい孫に会わせてあげられたことも、幸せでした。

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