2014年11月、香港で蜷川幸雄さんが倒れた時に、真っ先に現地に入りしたのは実花さんだった(※イメージ写真)
2014年11月、香港で蜷川幸雄さんが倒れた時に、真っ先に現地に入りしたのは実花さんだった(※イメージ写真)

 3千人が参列した葬儀を取り仕切ったのは、長女で写真家の実花さんだ。蜷川幸雄がその手で5歳まで育て、生涯最も苦しかった時間につぶやき続けた、ダンテ『神曲』の一節「自分の道を歩け。そして人には好きに言わせておけ」を、呪文のように耳元で聞いていた娘である。

──遺影となった写真は、昨年、さいたまの稽古場で実花さんが撮影されたものです。

 よく撮れたものですから、写真家としての欲で「ああいい写真だな。きっと遺影になるな」と、思ってました。一昨年の11月に香港で倒れたときから、何があってもおかしくないなと思ってましたから。

──香港のときも多忙の中、真っ先に現地に入られたとか。

 朝の8時に電話が入り、10時半には飛行機に乗っていました。その日と翌日は、たまたま撮影が入ってなかった。打ち合わせをすべてキャンセルして行ってみたら、集中治療室に入らなければいけない状態なのに、野戦病院のようなところで大部屋の片隅に寝かされていた。中国語も話せない中で、東京の病院に移すまでが大変でした。私は1泊して日本に戻ったので、東京で撮影をしながらあらゆる手配をしました。

 2、3カ月入院して、そのとき復帰できたのはすごくうれしかったけれど、今までとは全然違うなというのはわかりました。「もうカウントダウンだよな」と思っていたので、後悔なきようにと、やれることは全部やりました。共に走りきれたというか。我ながら親孝行だったと思うので、もちろん悲しいしすごく大きな穴は開いているんですが、指針を見失うことはなく、心の揺れはそれほどありません。

●あとのことは任せて

──実花さんは家族にとって、蜷川家の“長男”ですから。

 朦朧としているとき、父は母のことを「愛してる」と言い、妹や私の息子のことを心配していたけど、私の名前は一度も出なくて。意識が戻ったときに「私の名前は一回も呼ばないね」と聞くと、「君は大丈夫だと思ってるから」って。「あとのことは任せてね」と言いました。

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