立場の違う2人が、IBD(炎症性腸疾患)※1とワークシックバランスについて語る対談企画の最終回。クローン病を抱えながら働き、患者会で副代表を務める奥野真由さんと、慶應義塾大学大学院教授の岸博幸先生に、患者と経済の専門家それぞれの視点から、企業と病を抱える人との相互の向き合い方や、行政支援の現状などについて語ってもらいました。

※1 IBD(Inflammatory Bowel Disease)
免疫の異常により、腸を中心とする消化管粘膜に炎症が起こる慢性の病気の総称。
主に潰瘍性大腸炎とクローン病の2種類があります。寛解期と再燃期を繰り返すことが特徴です。
新型コロナウイルス感染症の感染予防を十分に行ったうえで対談を実施しています。

文/内藤 綾子 撮影/スケガワ ケンイチ デザイン/洞口 誠、大内 和樹 企画/AERA dot. ADセクション 制作/朝日新聞出版メディアプロデュース部ブランドスタジオ

慶應義塾大学大学院教授岸博幸先生
1962年、東京都生まれ。東京都立日比谷高校、一橋大学経済学部を卒業。元経産官僚。現在は慶應義塾大学大学院教授で、専門分野は経営戦略、経済政策。エイベックス顧問、大阪府市特別顧問などを兼任している。テレビなどのメディア出演や、全国での講演会などで活躍中。

埼玉IBD
副代表・会社員
奥野真由さん
1993年、埼玉県生まれ。2004年、10歳のときにクローン病を発症し、人生の半分以上を病気とともに生活している。2016年から埼玉IBD(患者会)に所属し、現在は副代表。若年同患者向けイベントの企画など「内向きの活動」のほか、製薬会社・保健所などでの講演や執筆など「外向きの活動」にも力を入れている。

10歳でクローン病を発症。3カ月の入院に

奥野さん:私は10歳でクローン病を発症しました。クローン病は、小腸や大腸などに慢性的な炎症を起こす、原因不明の病気です。当時、急な体重減少、疲れやすさ、38℃を超える発熱、腹痛、血便などがあり、クローン病と診断されて3カ月入院しました。クローン病と潰瘍性大腸炎を「IBD」といいますが、岸先生はIBDをご存じでしたか?

岸先生:以前は、そこまで詳しくありませんでしたが、安倍前首相が潰瘍性大腸炎を患っていたことがきっかけで知識を深めました。仕事を続けながら病気とうまく付き合う姿を見ていたので、大変な病気だけれど、医師と相談し、自分に合った治療法を見つけていけば病気を意識せず、社会活動ができると感じていました。

「難病」という言葉がネガティブなイメージに

奥野さん:クローン病は、寛解期(症状のない時期)と再燃期(症状が出ている時期)を繰り返すのが特徴です。私は発症時が症状のピークで、現在に至るまで、ときどき疲れやすさや腹部膨満感などはありますが、寛解維持できて仕事も普通にしています。

岸先生:IBDは、厚生労働省から難病に指定されていますね。難病って一般的に、ずっと入院している、社会生活が難しいといったイメージがあるけれど、安倍前首相や奥野さんを見ても、実際にそんなことはありません。「難病」って漢字がよくないと思いませんか?

奥野さん:思います! 日常生活を送ることでさえも誰かの介助が必要だと誤解されがちです。そのようなイメージが少しでもなくなるといいと思います。

高校時代の進路相談で、病気のことが説明できなかった

岸先生:奥野さんは患者歴が長いですが、進路選択といった人生の節目で、悩んだりしたことはありますか?

奥野さん:高校時代の進路相談で、病気のことをうまく話せずに泣いてしまったことがありました。服用している薬や食事のことなど、すべて医師や親任せで、自分のことなのに何も知らないことに気づき、悔しくて涙が出たんです。そこからは、自分のことをもっと知り、病気ともきちんと向き合っていこうと決めました。何事に対しても積極的に取り組む姿勢に変わっていった気がします。

就活では伝え方の工夫で強みをアピール

岸先生:就職活動は、どうでしたか?

奥野さん:大学生のときと大学院生のときで、2回就職活動をしています。大学生のときは、「病気があります。でも、がんばります!」みたいな感じだったのですが、クローン病と聞いただけで、眉間にシワが寄る採用担当者もいました。追い打ちをかけるように、お祈りメール(不採用通知)が次々に来て……。

岸先生:あ~、そうなんだ。眉間にシワを寄せる企業は、「病気だと仕事が無理なのでは?」と単純に思ってしまうんだろうね。残念ながら、病気や難病に対する理解が低いです。

奥野さん:でも、そのときの経験で、伝え方を工夫することを学びました。大学院生の就職活動のときは、病気があり定期的な通院が必要なことは伝えつつ、計画的に仕事を進めるスキルがあることを強みとしてアピールしたら、現在の会社に採用になりました。

岸先生:なるほど。能力を評価してもらえるようにアピールすることは、非常に賢いアプローチですね。企業側は、奥野さんのように病気を公表されても、その人の能力を評価すべきです。

企業は、平均的に優秀な人材を欲しがるが……

岸先生:企業ってどうしても、健康も含めて平均的に優秀な人材を欲しがるんです。でも、「IBDとはたらくプロジェクト」で、IBDの患者さんが29万人いる※2ことや、働いている人の3人に1人は病気を抱えている※3ことを知り、病気を抱えていることがむしろ当たり前の時代だと痛感しました。奥野さんのように、病気の経験を持つ人ならではの発想にこそ価値があり、新しい視点を提供してくれることに気づかなければ、企業は本当に良い人材を失うでしょう。
※2 厚生労働科学研究費補助金難治性疾患等政策研究事業 難治性炎症性腸管障害に関する調査研究 総括研究報告書(平成28年度)
※3 厚生労働省 令和元年国民生活基礎調査

奥野さん:病気の経験も強みにできるということを、患者本人だけでなく、企業側も理解できたら素敵だと思います。

岸先生:実は日本の企業って、海外に比べてイノベーションが少ないんです。イノベーションを作り出すには、多様な人材が不可欠です。知識、経験、物事に対する視点などがバラバラであるほど、斬新なアイデアが次々と生み出されます。ちょうどコロナ禍で働き方改革も進み、遠隔・在宅勤務など柔軟な働き方が当たり前になりつつあります。企業は病気を抱えつつも能力のある人を優先してどんどん採用し、イノベーションを起こすベストタイミングではないでしょうか。

行政は、「働き続けること」の支援を手厚く

岸先生:行政支援にも目を向けると、病気を抱えて働く人に対して十分でないと感じます。医療費助成、資格取得助成、就労支援などある程度の支援はしていますが、「働き続けること」が大変な患者さんへの支援はまったく足りていません。また、どのような支援があるかを知ってもらう広報活動も不十分です。

奥野さん:患者会でも、公的支援の話をすることがあります。中でも多くの人が避けて通れないのが医療費の受給者証の申請です。都道府県などへ提出する書類が多くて複雑で……。

岸先生:想像つくなぁ。すぐに申請していち早く支援を受けたいのに、その前段階で時間がかかって面倒なんですね。

奥野さん:その通りです!

岸先生:申請書類の簡素化だってできるはずだし、そういう細かいことも含めて支援を考え直す必要はあると思います。患者会とか、病気に詳しい皆さんの意見に行政が丁寧に耳を傾けて、必要な支援につなげていけるといいですね。

ワークシックバランスとSDGsの関係とは?

奥野さん:今回のプロジェクトで掲げられている「ワークシックバランス」というメッセージは、素直に共感できました。病気だけでなく人間関係なども含めて、見えないハンデを抱えている人たちはたくさんいます。その中で病気に目を向けたことが、うまく表現されている言葉だと感じました。

岸先生:「ワークライフバランス」という言葉が広く浸透していますが、「ライフ」という抽象的な表現を、「シック」という語でより具体的に表現した非常に重要な言葉ですね。病気とうまく付き合いながら仕事と両立させようというメッセージが、分かりやすいと思います。
それに今は、ワークシックバランスを浸透させる絶好のチャンスです。ポイントは、SDGs。SDGsは17の目標を定めていますが、ワークシックバランスは、二つの目標「#3すべての人に健康と福祉を」「#8働きがいも経済成長も」に該当します。ワークシックバランスをSDGsが実現するための手段ととらえれば、浸透する可能性は十分にあるはず。病気を抱える人に能力を発揮して社会で活躍してもらうことは、SDGsへの貢献にもつながるのです。

治療は“難”でも、社会生活は“難”じゃない

奥野さん:私は、人生のほとんどを病気と付き合ってきました。でも、病気を主軸に人生を考えるのではなく、仕事や趣味と同じように病気も人生にプラスαされているだけという風にとらえて、これからも病気とうまく付き合っていきたいです。

岸先生:病気を抱える人は、奥野さんのように自分なりの病気との向き合い方を確立しているのでしょう。それだけ価値観も多様化しているということ。ステレオタイプに、「難病だから生活も仕事も大変に違いない」「出勤できないなら仕事ができない」などと決めつけず、多くの人が想像力を働かせて、「自分と違う事情を抱えている人は大勢いる」「難病でもうまく対応して寛解維持の期間を長くすれば、普通に仕事ができる」といった意識を持てるといいですね。難病って、治療では“難”かもしれませんが、社会生活は“難”じゃない病気もある。企業、社会、世間の理解が進んで、だれもが自分らしく働いて自己表現できるように、社会全体が大きく変わることを願っています。

提供:ヤンセンファーマ株式会社