◇森鴎外

「蓮玉庵」は、安政6(1859)年に上野・不忍池そばに開店した。『雁』の中には<そのころ下谷から本郷へかけて一番名高かった蕎麦屋である>という記述が出てくる。その味を求めて、鴎外、坪内逍遥、樋口一葉らが通い、斎藤茂吉は<池之端の蓮玉庵に吾も入りつ上野公園に行く道すがら>と詠んでいる。

 昭和29年に、今の場所に移転した。今秋から昔の蕎麦を再現した新メニューが登場。平打ちの麺で、噛むとほのかな甘みが感じられる。明治の文士たちが好んで食べたのも、このような蕎麦だったのだろうか。

蓮玉庵
東京都台東区上野2‐8‐7/営業時間 11:30~18:15LO/休 月

◇夏目漱石

「空也(くうや)」は、明治17年に上野・池之端で創業。空襲で焼失し、昭和24年に銀座に再建された。要予約の「空也もなか」が人気だが、漱石は「空也」のほうが気に入っていたのか、『吾輩はである』の中で2度も登場させている。

「空也餅」とは、粒々の残る餅で餡を包んだもの。11月中と1月半ばから2月半ばまで、それぞれ1カ月間しか作られない菓子だ。

 漱石は自ら買いに来たこともあったのだろう。「たぶん漱石さんだと思える古い写真が出てきました。お札と同じ顔に見えるんです」と、4代目夫人の山口公子さん。

空也
東京都中央区銀座6‐7‐19/営業時間 10:00~17:00(土は16:00まで)/休 日祝

◇芥川龍之介

 かつて亀戸周辺の家庭で作られていた素朴な郷土菓子を、船橋屋は洗練した上品な和菓子として販売。たちまち評判となった。東京府立第三中学校(現・都立両国高校)の生徒だった芥川も、それに魅了された一人。

「体育の授業を抜け出して来て、くず餅を食べ、学校に走って戻っていったそうです。口元に黄な粉をつけたまま帰ったこともあったと聞いています」(広報・青木優海さん)

 芥川は、戦災で焼失した旧店舗の右奥のテーブルに一人座り、壁に向かって食べていたという。

船橋屋 亀戸天神前本店
東京都江東区亀戸3‐2‐14/営業時間 9:00~18:00(店内での飲食は17:00LO)/年中無休

週刊朝日  2015年10月9日号より抜粋