「歴史」に関する記事一覧

西郷隆盛に“キセルはげ”? 末裔が語る偉人たちの素顔
熊澤志保 熊澤志保
西郷隆盛に“キセルはげ”? 末裔が語る偉人たちの素顔
大河ドラマ「西郷どん」で注目される幕末と維新の豪傑たち。ドラマや教科書の中で語れない彼らのリアルな姿を、西郷隆盛をはじめとする末裔たちに聞いた。
歴史
AERA 3/10
「秩禄処分」もイノベーティブだった? 実はすごい明治維新の政策
「秩禄処分」もイノベーティブだった? 実はすごい明治維新の政策
多くの歴史ファンを魅了する明治維新。実は「政策」の観点から見てみると、また興味深いことが分かる。『イノベーターたちの日本史』著者の米倉誠一郎さん(64)に聞いた。
歴史
AERA 3/9
いまだ会津に渦巻く「薩長憎し」の思い 一方で雪解けの兆しも?
野村昌二 野村昌二 渡辺豪 渡辺豪
いまだ会津に渦巻く「薩長憎し」の思い 一方で雪解けの兆しも?
明治維新から150年を記念する声が全国で聞かれる一方で、福島では「戊辰150年」ののぼりが立つ。会津には、薩長への恨みをいまだに強く持つ人も少なくない。
歴史
AERA 3/9
「大久保は死なずに済んだかも…」偉人の末裔が語る苦労と本音
熊澤志保 熊澤志保
「大久保は死なずに済んだかも…」偉人の末裔が語る苦労と本音
ドラマや小説で描かれる偉人たちを先祖にもつ末裔の存在をご存じだろうか? 華やかな印象がある一方で、末裔ならではの苦悩もまたあるという。大河ドラマ「西郷どん」に登場する偉人の末裔たちに集まって頂き座談会を開催した。
歴史
AERA 3/9
“半年間、遺体を野ざらし”はなかった? 薩長の「埋葬禁止令」を覆す新史料
野村昌二 野村昌二 渡辺豪 渡辺豪
“半年間、遺体を野ざらし”はなかった? 薩長の「埋葬禁止令」を覆す新史料
今も会津に渦巻く、150年前の怨念。最大の要因は、官軍の「埋葬禁止」にあった。しかし、最近、「定説」を覆す新史料の発見があった。
歴史
AERA 3/8
士族出身の「三菱」、豪商の「三井」「住友」 財閥解体で見えた“違い”とは
士族出身の「三菱」、豪商の「三井」「住友」 財閥解体で見えた“違い”とは
近代産業の黎明(れいめ)期でもある明治維新。既得権益層が没落し、新興勢力が躍り出る激動期は、未曽有のビジネスチャンスでもあった。
歴史
AERA 3/8
吉田松陰は偶像化しやすい? 日本赤軍や二・二六事件の将校も崇敬
吉田松陰は偶像化しやすい? 日本赤軍や二・二六事件の将校も崇敬
明治維新から150年を記念するイベントがあちこちで行われている。しかし維新から近代日本の歩みは、単純にたたえられる部分だけでできているわけではない。歴史とどう向き合っていくべきか、改めて考えたい。
歴史
AERA 3/6
地球の細菌に勝てなかった『宇宙戦争』の火星人 医師の解釈は?
早川智 早川智
地球の細菌に勝てなかった『宇宙戦争』の火星人 医師の解釈は?
『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、火星人を診断する。
朝日新聞出版の本歴史病気
dot. 2/22
のどが渇く、目が見えない… 光源氏のモデルとされるあの権力者を襲った病は? 現代の医師が診断
早川智 早川智
のどが渇く、目が見えない… 光源氏のモデルとされるあの権力者を襲った病は? 現代の医師が診断
歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。  日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将や歴史上の人物がどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。本書の中から、早川教授が診断した藤原道長の症例を紹介したい。 *  *  * 【藤原道長(966~1027)】  太古の昔はいざ知らず、日本では天皇家にとって代わろうとする権力者はまずいない。従って、娘を嫁がせて次の天皇の外祖父になるというのが、平安貴族の王道だった。その代表が源氏物語の主人公・光源氏のモデルともなった御堂関白藤原道長である。 「この世をば、我が世とぞ思ふ望月の、かけたることのなしとおもへば」と藤原道長が権力の絶頂を謳った寛仁2年(1018年)、その体は既に病魔に蝕まれていた。藤原実資の日記『小右記』は、「近日、枯槁殊に甚だし。去年より陪す。又一昨胸病発動す。悩み苦しむの間弥々無力也」とあり、若い頃は堂々たる偉丈夫であった道長が急に痩せてきて、胸の痛みに苦しんだとしている。  その2年前には「摂政車にのり、御行に従ふ。悩気有るに依り、河原より退帰せらる。飲水数々、暫しも禁ずべからず」。「摂政仰せられて云ふ。去三月より頻りに漿水を飲む。就中近日昼夜多く飲む。口渇き力無し。但し食は例より減ぜず」。つまり道長は、51歳頃からしきりに水を飲み口が乾燥して無力状態になったが、食欲は衰えなかったというのである。  当時の医師は、道長の病を「消渇」としている。おそらく、典型的な2型の糖尿病だったのだろう。消渇については隋の医師・巣元方(580~650)が『諸病源候論』で口渇と多飲多尿といった糖尿病の典型的な症状を記載している。  藤原一門、特に道長の親族には消渇の患者が多く、伯父伊尹、父兼家、兄道隆その長子で甥にあたる伊周はいずれも「飲水の病」を患っていたという。道長と権力の座を争った伊周は、『栄華物語』に「帥殿は、日ごろ水がちに、御台などもいかなることにかとまできこしめせど、怪しうありし人にもあらず。細り給ひにけり」と記している。どうしたかと思われるほど食事を摂りながら、水を飲み痩せ細っていったというのである。ストレスは交感神経の緊張から高血糖の原因となるので、宮廷における権力闘争が寿命を縮めたのだろう。一見、花鳥風月を愛で、和歌を詠み、愛人のもとに通う優雅な平安貴族だが、弓矢や剣術、鷹狩りを好んだ戦国武将のように運動することもなく、また直接、敵と刃を交えないだけに、闘争は間接的かつ陰湿で徐々に貴族たちの肉体と精神を蝕んだ。
朝日新聞出版の本歴史病気
dot. 2/15
空豆を食べられなかったピタゴラス 実はマラリアが関係していた!? 現代の医師が診断
早川智 早川智
空豆を食べられなかったピタゴラス 実はマラリアが関係していた!? 現代の医師が診断
『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、古代ギリシャの数学者、ピタゴラスを診断する。 *  *  * 【ピタゴラス (B.C. 582~496年頃)】  夜中に原稿を書いているとお腹が空く。煙草と甘いものは家人から“ドクター・ストップ”がかかっているので“坂の上の雲”の主人公、秋山真之中佐に倣って煎り豆を齧るのがここ数年の習慣である。この豆を筆者は最初、黒豆かピーナッツと思っていたが、よく調べてみると空豆であった。  秋山中佐の出身地である伊予松山では単純に焙烙で煎った空豆(堅豆)が伝統的な間食なのだそうである。小粒の空豆を殻ごとうまく煎った堅豆は大変香ばしく、低カロリー高食物繊維で結構なものだが、東京ではなかなか売っていない。油で揚げた「いかり豆」はスーパーでも容易に手に入るが、似て非なるものであり、何よりも油で汚れてしまうので秋山中佐にならってポケットに入れることができぬ。 ■空豆の起源と分布  さて、空豆は紀元前より地中海、西南アジアで栽培され、中国を経て日本へは8世紀ごろ渡来したという。アジア・アフリカなど旧世界で準主食とされ、特に中国では豆板醤の原料として大変重要な作物である。日本では江戸慶長年間以降、特に西日本で米の裏作として田に植えられ、農家の副食や間食として普及した。  江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には「胃ニ快ク臓腑ヲ和ス」とあり、さらに誤って針をのんで誰も手をつけられなかった患者に医師が韮と空豆を与えたところ無事に排出されたとしている。食物繊維が効いたのだろう。さらに、同書には古株に花実をつけることから「故ニ以ッテ子孫繁昌草ト為ス(巻104菽豆類)」としているが、これは著者である寺島良安先生の誤解で、普通は一年草である。
朝日新聞出版の本歴史病気
dot. 2/8
戦国時代にピンピンコロリ 北条早雲の長寿は禅寺教育が関係!? 現代医師が解説
早川智 早川智
戦国時代にピンピンコロリ 北条早雲の長寿は禅寺教育が関係!? 現代医師が解説
歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。  日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将や歴史上の人物がどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。本書の中から、早川教授が診断した北条早雲の症例を紹介したい。 *  *  * 【北条早雲(1432?~1519)】  還暦を過ぎてもまだまだ元気な人が多い現代だが、戦国時代にかつての定年年齢を過ぎてから歴史の表舞台に登場し、時代を先駆けた武将がいる。北条早雲である。  早雲の本名は伊勢新九郎長氏(盛時という説もある)。生年は1432(永享4)年、父は備中荏原荘(現・岡山県井原市)の領主で足利義政の申次衆(側近)伊勢盛定、母は同じく伊勢氏で政所執事の伊勢貞国の娘であった。  応仁の乱(1467年)当時は将軍足利義政の弟の義視に仕え、後に義政の後継者・義尚の申次衆となった。応仁の乱で妹が嫁いでいた東軍の駿河守護今川義忠が、西軍の遠江守護斯波義廉方の家臣に討ち取られると、幼少の嫡男龍王丸を助けるために京から駿河に下って上杉の家宰太田道灌と談判し、今川家の内紛を収める。この働きにより元服した龍王丸(氏親)の後見人として伊豆との国境の興国寺城を与えられる。さらに幕府奉公衆小笠原政清の娘(南陽院殿)と結婚、嫡男氏綱が生まれた。伊勢新九郎56歳の展開である。  当時、伊豆は堀越公方足利政知が支配していたが、1491年に政知が没すると、長男茶々丸が側近を率いて、継母円満院と異母弟潤童子を殺害して強引に跡目を継ぐという事件が起きた。潤童子の兄で出家していた清晃による茶々丸追討の指示を受けた早雲は伊豆を攻略、堀越御所の悪政を廃して善政を敷いたため領民の歓迎を受ける。1495年9月には隣接する相模の大森氏の居城小田原城を、鹿狩りを装って入った箱根山から急襲し無血奪取、本拠とする。山内扇谷両上杉を平らげ、82歳にして自ら陣頭に立って要衝油壺にこもる相模の名門三浦一族を攻略、古都鎌倉を含む全相模の支配権を確立する。家督を氏綱に譲った翌1519(永正16)年没した。享年88。  もともと幕府の高官でありながら領国を得ると法治による支配を強化し、以後五代百年にわたる関東の主となった。国盗りのためにはかなり阿漕なこともやった早雲だが、善政と古典の教養のためか、同じようなことをした斎藤道三や松永弾正に比べて後世の印象は良い。
朝日新聞出版の本歴史病気
dot. 2/1
今でも手に入る!「徳川埋蔵菌」を生み出した食品 そのお味は…
今でも手に入る!「徳川埋蔵菌」を生み出した食品 そのお味は…
平均寿命が35歳前後だった江戸時代において、享年75歳とダブルスコアのご長寿だった徳川家康。その背景には現代にも通じるような、腸内環境を整える食生活があったようだ。徳川埋蔵金ならぬ「徳川埋蔵菌」を生み出した食品に迫る。
健康歴史
AERA 1/27
この話題を考える
あの日を忘れない

あの日を忘れない

どんな人にも「忘れられない1日」がある。それはどんな著名な芸能人でも変わらない。人との出会い、別れ、挫折、後悔、歓喜…AERA dot.だけに語ってくれた珠玉のエピソード。

インタビュー
国際女性デー

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3月8日は国際女性デー。AERA dot. はこの日に合わせて女性を取り巻く現状や課題をレポート。読者とともに「自分らしい生き方、働き方、子育て」について考えます。

国際女性デー
高たんぱくダイエット

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会食の機会も増え、体重の増加が気になる季節。帳尻を合わせるために、極端なダイエットに走る必要はもうありません。 調理時間10分以内、安くておいしいお鍋なら、かんたんに体重オフ、健康パワーもアップできます。 気になるノウハウに加え、一生使えるAERAオリジナルレシピまでを網羅しました。

高たんぱくダイエット
徳川家康の“ぽっこりお腹”は脂肪じゃなくて“菌”だった?
徳川家康の“ぽっこりお腹”は脂肪じゃなくて“菌”だった?
年始特番もあった「徳川埋蔵金」探し。どうせ見つからないんでしょと思いつつ、ロマンもあって、つい観てしまう。だが待て。徳川埋蔵「菌」ならどうだ。記者が取材に行くとなんと……。
歴史
AERA 1/26
恋多き歌人・在原業平には浮気癖の遺伝子変異があった!? 現代の医師が診断
早川智 早川智
恋多き歌人・在原業平には浮気癖の遺伝子変異があった!? 現代の医師が診断
歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。  日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将や歴史上の人物がどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。本書の中から、早川教授が診断した在原業平の症例を紹介したい。 *  *  * 【在原業平(825~880)】  百人一首は物心ついたころから家にあるが、お正月しかしないので一向に上達しない。それでも、「ちはやぶる神代もきかず龍田川」(古今294)は得意の札で、「ちは」とくると「からくれなゐに水くくるとは」は人に譲らなかった。『伊勢物語』のモデルとなった在原業平の作品である。 ■昔、男ありけり  平安時代初期の歌人在原業平は天長2年(825年)平城天皇の皇子の阿保親王の第五王子として生まれた。両親ともに皇族だったが、兄・行平とともに臣籍降下して在原氏を名乗る。仁明天皇の蔵人として従五位下に進むも、政治的理由で(一説にはあまりに派手な女性関係で)、文徳天皇の代には13年にわたって昇進が止まり、次の清和天皇のもとで従五位上、右馬頭、右近衛権中将、蔵人頭に序せられる。 『日本三代実録』に「体貌閑麗、放縦不拘、略無才覚、善作倭歌」とあるように本人は出世にはあまり興味がなく、次々に新しい恋を求めた。男女関係に鷹揚な平安時代とはいえ、相手は天皇の后である二条后(藤原高子)や神に仕える伊勢斎宮恬子内親王など、社会的に絶対に許されない恋である。  生殖生物学的には、負担の大きな投資を行う女性に生殖の優先権があり、個々の配偶子形成に対するコストが少ない男性を自然淘汰に委ねる、すなわち、生存競争に勝った男性が複数の女性を妊娠させることが可能という哺乳類全体に共通する生殖戦略がヒトでも成り立つ。ただ、子どもが成熟するのに十数年かかる人類では、夫婦で協力して子を育てるほうが繁殖成功度は高い。  そんな中、子どもは乳母が育ててくれて、自分は遊んでいても食べるに困らない貴族階級において、一部は浮気に走る。しかし、同じ上流階級でも一夫一婦を守る真面目なカップルも多いのはなぜだろうか?
朝日新聞出版の本歴史病気
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お正月のだるま、眼球突出はバセドウ病の症状? モデルの達磨大師を現代医師が診断
早川智 早川智
お正月のだるま、眼球突出はバセドウ病の症状? モデルの達磨大師を現代医師が診断
『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、禅宗の開祖、達磨大師を診断する。 *  *  * 【達磨大師 (5世紀後半?~6世紀前半?)】  初詣はどこも大変な人出である。  長い行列を終えて、帰りは露店で甘酒や縁起物ということになるが、筆者が毎年出かける実家近くの神社ではだるま市が開かれている。数センチのミニだるまから巨大なものまで様々である。数年前に小ぶりのものを買い求め、教室の先生がメジャーな雑誌に論文を送る時に片目を、アクセプトが決まると杯を上げて両目を入れていたが、数が増えて棚に場所が足らなくなって、いつしかやめてしまった。 ■壁の前で9年  さて、だるま人形のモデルは実在の人物、菩提達磨で禅宗の開祖であるという。  魏の撫軍府司馬楊衒之撰『洛陽伽藍記』(547年)などによると、達磨は南天竺国・香至王の第3王子として生まれ、般若多羅の法を得て仏教の第28祖になったということになっている。胡人(ペルシア人)であったという説もある。海を渡って中国へ布教に来た達磨は普通元年(520年)当初南朝(梁)の治める広州に上陸したが、受け入れられず北魏に向かい、嵩山少林寺において壁に向かって9年座禅を続けたという。これが、禅宗でいう壁観(壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅)を体現したものであるという。  永安元年10月5日(528年11月2日)に150歳で遷化したが、パミール高原で片方の草履のみを手にした達磨を見かけた者があり、墓にはもう一方の履物しか残っていなかったという伝説がある。禅宗はやがて臨済宗、曹洞宗などの五家七宗に分かれ、日本には鎌倉時代に伝来し、本家であるインドや中国で衰退したのちも特に武士の間で広く受け入れられた。庶民の間にも達磨大師が面壁9年の座禅によって手足が腐ってしまったという伝説が生まれ、縁起物のだるま人形になったという。
朝日新聞出版の本歴史病気
dot. 1/4
院政を混乱させた美女・待賢門院璋子は「オギノ式」で計画妊娠!? 現代の医師が解説
早川智 早川智
院政を混乱させた美女・待賢門院璋子は「オギノ式」で計画妊娠!? 現代の医師が解説
歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。  日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。本書の中から、早川教授が診断した待賢門院璋子について紹介したい。 * * * 【待賢門院璋子(1101~1145)】  西洋では「恋愛」は12世紀に吟遊詩人が発明したものだという。日本では、額田王が袖を振った飛鳥時代から恋愛が存在した。江戸時代の国学者・本居宣長は、「儒教を生活の規範とする中国人は(実態はともかく)道徳論が好きで好色を咎める。一方、日本人は道徳よりも「もののあはれ」を重んじ、恋愛を文学の主要な題材とする」と言う。さらに「日本は神国で唐土は悪国云々」と続くがこれは省略。  実際、『源氏物語』から近代の能、歌舞伎、文楽、浮世絵、黄表紙にいたるまで、日本文学のメインテーマは恋愛である。男女間の対等の関係(どちらかが愛を告げて、他方がこれを受け入れるか気に入らなければ拒絶できる)がなければ恋愛は成立しない。古代社会では家畜や財産の類いと考えられてきた女性が男性に隷属せず、自由意思で配偶者を選べることは画期的な出来事であろう。 ■愛さえあれば年の差なんて  平安時代、宮廷貴族たちにとって、恋愛が国家経綸よりも民草よりも重要な関心の対象となった。しかし、美しい奔放な女性と最高権力者の恋が内乱に発展したのは、待賢門院璋子と白河法皇の場合だけだと思う。  平安末期にいわゆる院政を始めた第72代・白河天皇(貞仁親王)は、天喜元年(1053年)6月19日に尊仁親王の皇子として生まれた。『平家物語』では、「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたと記しているが、逆に言えばそれ以外のすべてのことが思い通りだった。女性関係においても自由な立場だったが、五人の親王・内親王をもうけた中宮・賢子が若くして死去すると、その嘆きは一方ならず、有名な祇園女御(一説に平清盛の生母とされる)ほか数多の美女に囲まれながら、真に愛するべき女性は現れなかった。ところが法皇55歳にして、祇園女御が養女に迎えた藤原公実の末娘・璋子(7歳)をいたく気に入り、源氏物語に出てくる紫の上のように第一級の淑女として育てる。
夫婦朝日新聞出版の本歴史
dot. 12/21
江戸城内で突然、斬りつけた浅野内匠頭は強迫性障害だった? 現代の医師が診断
早川智 早川智
江戸城内で突然、斬りつけた浅野内匠頭は強迫性障害だった? 現代の医師が診断
『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、赤穂藩主・浅野長矩を診断する。 *  *  * 【浅野長矩(1667~1701年)】  毎年、暮れになると腹の立つことがある。  各局で放映される忠臣蔵である。気の毒な吉良上野介義央は没後300年以上にわたりどうして毎年悪役として殺され続けなければならないのか。  そもそもの始まりは、2年ほど前に遡る。  弥生も半ば春の陽差しが射し込む元禄14年(1701年)3月14日、江戸城松の廊下でとんでもない事件が起きた。将軍徳川綱吉が勅使を饗応する儀式の責任者である播州赤穂5万3000石藩主・浅野内匠頭長矩が、梶川与惣兵衛と立ち話をしていた高家筆頭吉良上野介義央に「この間の遺恨覚えたるか」と叫んで斬りつけたのである。 ■犯行の背景は  浅野本人が吟味の席で「乱心にあらず。かねて遺恨あり」と述べているが真相は藪の中である。犯行の背景には(1)吉良に賄賂を持っていかず恥をかかされた(徳川実紀)、(2)赤穂の塩が吉良の塩に販売競争で負けた(尾崎士郎)、(3)接待費用を節約し叱責された(三田村鳶魚)、(4)吉良が浅野の室に横恋慕(仮名手本忠臣蔵)などの説があるが、いずれも根拠は薄い。  内匠頭は田村右京大夫邸で即日切腹。享年34。当然ながら、吉良はお咎めなしである。  実際、この事件での被害者に何の落ち度もない。浅野内匠頭の罪名は現在で考えても明らかに殺人未遂罪であり公務遂行中の事件でもある。「殿中にて刃傷に及べば切腹・死罪」という法があり、裁判(目付・近藤平八郎と多門伝八郎による訊問)を経て処刑されている。  勿論、判決当日とはあまりに拙速という批判もあろうが、当時として適切な法手続きは行われたと言ってよい。そもそも特権的に武士のみに携帯を許された短刀を抜いて、公の場で上司の殺害を企てたわけであり、その場で斬り殺されても文句は言えない。切腹についても、武士としての名誉ある死の方式であり、内匠頭の名誉を傷つけたとは言えない。
朝日新聞出版の本歴史病気
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左利きの大天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが残した鏡文字の秘密 現代の医師が診断
早川智 早川智
左利きの大天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが残した鏡文字の秘密 現代の医師が診断
『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、レオナルド・ダ・ヴィンチを診断する。 *  *  * 【レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452~1519年)】  レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)はルネサンスを代表する芸術家であるのみならず、おそらく人類の歴史で最高の天才の一人であろう。  フィレンツェ郊外ヴィンチ村に生まれ、ヴェロッキオ工房での修業の後、有名な「モナリザ」や「最後の晩餐」、「受胎告知」、「聖アンナと聖母子」など数々の傑作を残した。それだけでなく、ミラノ公ルドヴィゴ・イル・モーロ、ヴァレンティノ公チェーザレ・ボルジア、ヌムール公ジュリアーノ・ディ・メディチ、そしてフランス王フランソワI世の宮廷において、治水や城塞設計などの土木建築家、軍事技術者、さらに舞台監督として重用され、多彩な才能を発揮している。万物に強い好奇心を持ち、知的探求の成果として有名な解剖デッサンを含む膨大な素描と手稿を残している。 ■眼科医が陰影の斜線から利き手を解析  面白いことに陰影を描いた斜線はほとんどすべて左上から右下の方向に描かれている。自分で書いてみると分かるが、右手で斜線を引くと、左下がりの線を引くのが自然な手の動きである。レオナルドが左利きであったことは当時から有名で、弟子の記録やヴァザーリの伝記にはっきり記されている。  では、左利きの画家はどれくらいの割合だろうか。フランスの眼科医Lanthonyは、15世紀以来現代までの画家500人が描いた陰影の斜線から利き手を解析した。その結果、左利きが確定した画家は、Cambiaso、Dufy、Escher、Füssli、Grandville、Holbein、Klee、De La Patelliere、Leonardo da Vinci、Menzel、Montelupo、Paptey、Regnault、VanGoyenの14人(2.8%)で、西洋人男性の平均8%よりもむしろ少なかった。 ■鏡文字の秘密は?
朝日新聞出版の本歴史病気
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