――兵庫県の淡路島ご出身とうかがいました。どんな幼少時代だったのですか?

淡路島と聞くと、「山と海に囲まれた田舎」と感じる人が多いようですが、島で最も栄えている商店街で育ったので、あまり田舎育ちという意識はないんです。アーケードのある商店街で家の目の前が、おもちゃ屋とケーキ屋でした。もちろん、商店街から5分くらい歩けば山があって、10分歩けば海もある。人工物と自然の両方に囲まれて育ったんです。自宅の裏には貸本屋があって、そこで「少年」や「冒険王」などの漫画雑誌を片っ端から読みあさっていました

――それがゲームクリエイターとしての原点なのでしょうか?

物語との出合いという面では貸本屋で読んだ漫画が原点と言えると思います。漫画好きが高じて、大学入学時も漫画研究会(漫研)に入りました。漫研には日々、いろんなアルバイトが舞い込んでくるんです。スポーツ紙のコーナーで、文章を書く作業を手伝ったりしているうちに、漫画を描くよりも、『文章を書く方がラクだな』と気がついたんです。絵を描くのは大変だけれど、漫画の原作だったらできるんじゃないかと考えて、漫画の原作を書き始めるようになりました。

――そこからゲームの世界に携わるようになったきっかけを教えてください。

26歳ぐらいの時、「これからはマイコンの時代だ」と思って10万円くらいのコンピューターを買いました。付属の教則本がとても分かりやすくて、しだいにプログラミングにはまっていきました。数学が好きだったので、楽しくてすぐに覚えてしまった。ゲーマーでもあったので、「ポートピア連続殺人事件」のようなアドベンチャーゲームを作るようになったんです。あとは、漫研のツテで「週刊少年ジャンプ」でゲーム紹介のページを書いていたことも、きっかけのひとつですね。当時の担当編集者が鳥嶋和彦さん(「Dr.スランプ」の悪役キャラ・Dr.マシリトのモデルになった)だったんですよ。鳥嶋さんもゲームが好きで、飲むたびにゲームの話をしていました。鳥嶋さんは「ドラゴンボール」を生み出した漫画家・鳥山明さんの担当編集者でもありました。ある日、鳥嶋さんから「鳥山さんが、君の作った『ポートピア連続殺人事件』にはまっていて、ゲーム制作に参加したがっている」という話を聞いたんです。後から聞くと、鳥山さんはそんなこと何も言っていなかった(笑)。編集者として、鳥山さんに刺激を与えようとしたのかもしれません。

――「ドラゴンクエスト」シリーズの音楽を手がけている、すぎやまこういちさんとの出会いは?

エニックスが募集していた将棋ゲームのアンケートに、すぎやまさんが一人のユーザーとしてはがきを送ってきたんです。それを見つけて、千田さん(千田幸信さん、『ドラゴンクエスト』シリーズの初代プロデューサー)が「この人って作曲家の人じゃない?」と気がついて、電話してみたのがきっかけです。鳥山さんもすぎやまさんも、最初から依頼しようと計画していたわけではなくて、たまたま生まれたご縁なんです。曲を聴いた時は驚きました。クラシックだったので、びっくりしてね。「ゲームに合うかな?」と思ったけど、聴いているうちにだんだん耳になじんできた。すぎやまさんが言うには、「ゲームの音楽ほど、長く聴く音楽はない。聴き減りしないのはクラシックじゃないか」と。それを聞いて「その通りだな」と思いました。

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