阪神監督時代の中村勝広氏(OP写真通信社)

 昨季38年ぶりの日本一を達成した阪神・岡田彰布監督は、38年前の1985年にも主力選手として日本一を経験している。オリックス・中嶋聡監督、ヤクルト・高津臣吾監督も選手、監督時代のいずれも日本一になった。だが、彼らとは対照的に、選手、監督の両方で暗黒期を味わった悲運の男たちも存在する。

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 暗黒期といえば、1987年から2001年にかけて最下位10度を記録した阪神を思い浮かべるファンも多いはずだ。

 だが、この時期の主力で、選手、監督のいずれも暗黒期だったと言えそうな該当者は見当たらない。そんななかで、選手時代に優勝経験が1度もなく、監督時代も暗黒期だったという条件で括ると、中村勝広監督の名前が挙がる。

 選手時代はライバル・巨人の後塵を拝し、78年には球団史上初の最下位も経験するなど、栄光とは無縁だった。

 そして、90年に低迷するチームの再建を託され、監督に就任するも、2年連続最下位に沈み、91年シーズン中には解任の噂も飛び交った。だが、「このままでは終われない」と監督生命をかけた3年目の92年、亀山努、新庄剛志ら若手の台頭で、ヤクルトと最後まで優勝を争い、巨人と同率2位に躍進した。

 しかし、ファンを喜ばせたのはこの年限りで、翌年以降はトレードの失敗などチームの強化がうまくいかず、Bクラスに逆戻り。そして、オーナーに優勝を約束した球団創設60周年の95年も、中日と最下位争いを演じるなど低迷。7月に巨人に3試合連続完封負けを喫すると、「責任を痛感している」とシーズン途中で辞任した。

 その後、06年にオリックス監督に就任し、11年ぶりに指揮をとったが、7年連続Bクラスの5位に終わり、わずか1年で辞任と監督時代は不遇続きだった。

 現役時代、チームは14年間でAクラスが2回だけの万年Bクラス、監督就任後も思うような結果を出せなかったのが、横浜・山下大輔監督だ。

 73年のドラフト1位で大洋に入団。77年に遊撃手として当時のセ・リーグ記録、連続守備機会無失策「205」を樹立し、8年連続ダイヤモンドグラブ賞を受賞するなど、球界屈指の名ショートとして活躍した。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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8年ぶりの生え抜きOBとして新監督に就任