天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)

「環軸椎亜脱臼(かんじくつい・あだっきゅう)に伴う脊髄症・脊柱管狭窄症」であるということがわかり、長らく入院生活を送っていた天龍さん。6月22日に退院し、すぐにイベント出演など、精力的に活動を再開。8月23日に亡くなったことが明らかになったテリー・ファンクさん(享年79)にまつわる思い出を語ってもらいました。

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 テリーが亡くなってしまったことに関しては、信じられないの一言だ。あんなに天真爛漫なテリーが、あの世に行ってしまうなんて……。

 俺がプロレスに転向したのも、テリー対ジャンボ鶴田のNWAタイトルマッチを観て、「プロレスって面白いな」と思ったのが大きな要因だった。それだけ、テリーは俺のプロレス人生に大きな影響を与えた人だ。最後に会ったのは俺の引退試合で、まさかアメリカから来てくれるとは思っていなくて、本当に嬉しかったよ。

 テリーとの出会いは1976年のアマリロ。プロレスに転向してすぐに、ドリー・ファンクにプロレスのイロハを教えてもらっていた頃、たまたまディック・スレイターと一緒に試合会場に顔を出したテリーにコーチをしてもらったのが最初だ。

 コーチと言っても、技の入り方とか、本当に基本的なことだけで、トータルで2時間もなかったと思う。当時のテリーはNWAチャンピオンで忙しくて、アマリロにもほとんどいなかった。チャチャっと教えてもらった後は、ジャンボと一緒にテリーの試合を観て、テクニックや試合運びを見様見真似で覚えたもんだ。

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天龍源一郎

天龍源一郎

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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俺もジャンボ鶴田もテリーになりたい