「御地赤とは直系の女性皇族である内親王方が、数えで5歳の年から成人になるまで元日など節目となる日に身に着ける宮中の伝統的な着物です。上品な朱赤の絹地に、松や梅などおめでたい柄の刺繍(ししゅう)が金糸などで施されたもの。愛子さまの1着目に配された鳳凰の意匠は美智子さまのご指示によるものでした」

 秋篠宮家は、眞子さま佳子さまの成長に合わせて2着目の御地赤を作った。 愛子さまの御地赤は成長に間に合わなかったのか、制服をお召しの年もあった。雅子さまの体調の安定とともに、生活も落ち着き始めたのだろうか。

「13年に東宮家よりご注文があり、14年暮れには2着目を納めることができたのです」(高橋さん)

 そして16年の歌会始。雅子さまは福島県の訪問先で出会った高校生に未来を重ねた歌を披露している。

<ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む>(16年、題「人」)

 雅子さまは4月、春の園遊会に姿を見せ、7年ぶりの宮中祭祀参列。6月は皇太子の8大行啓のひとつである「全国『みどりの愛護』のつどい」への出席と、岩手県訪問で、1カ月に2回の地方公務を実現した。

 秋には学習院女子中等科3年の愛子さまが体調を崩し、雅子さまの公務のペースも落ちたが、無理のない範囲で続けている。

 1月13日の「歌会始の儀」の前夜。雅子さまの順調な回復ぶりを示す、ちょっとした出来事があった。皇居に、皇太子ご一家、秋篠宮家のご家族が集まり、両陛下を囲んで新年恒例の夕食会があった。参内する皇太子ご一家が半蔵門を通過する際、なじみの記者に気づいた雅子さまは、自ら窓を開けて会釈した。

 少し前まで、報道陣を見かけると車内のカーテンを閉めることも少なくなかった。会釈された記者は、

「雅子さまの取材を長く続けていますが、初めてのことに驚きながらも、幸せな気持ちになりましたね」

 と喜びを漏らした。

 天皇陛下が昨年8月に退位をにじませるメッセージを出し、政府は19年元日の代替わりを目指すと報道された。となれば、平成の「歌会始の儀」も来年が最後である。歌会始の選者を務める永田和宏さん(69)は、今年は御所の庭にある季節の草花を詠んだ皇后美智子さまの和歌が強く印象に残ったと語る。

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