ハリウッドグループ会長の福富太郎さん。84歳の現在も欠かさず店に出勤している=東京都足立区の「北千住ハリウッド」
ハリウッドグループ会長の福富太郎さん。84歳の現在も欠かさず店に出勤している=東京都足立区の「北千住ハリウッド」

 社会風俗・民俗、放浪芸に造詣が深い、朝日新聞編集委員の小泉信一氏が、正統な歴史書に出てこない昭和史を大衆の視点からひもとく。今回は「キャバレー」の立役者、キャバレー太郎さんのお話。

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 昭和39(1964)年というのは、東海道新幹線が開業し、東京五輪が開催された年だ。まさに日本が高度経済成長へとひた走り始めた年である。

「裏昭和史」にとっても画期的な年だったと言えよう。東京・銀座の中央通りに大衆キャバレー「銀座ハリウッド」がオープンしたのである。もちろん赤坂に「ミカド」などのキャバレーやナイトクラブはあったが、あちらは「高級」。こちらは「大衆性」を掲げて「安心明朗会計」をうたい、夜の商売としては銀座で初の現金制だった。

 何しろ店の規模が大きかった。延べ床面積1千坪。在籍ホステス800人を抱えていた。だが、この出店に地元の旦那衆は怒った。「銀座の品位を損なう」。たしかに開店前のあいさつ状には、こんなキャッチコピーが書かれていた。

 驚く勿(なか)れ
 世界の三バカ!
 万里の長城
 戦艦大和
 銀座ハリウッド

 外国人客にも対応できるように、通訳をフロントに3人、各階に2~3人ずつ配した。土産は浮世絵を染め込んだ風呂敷。これが受けた。うわさは五輪の選手村やメディア関係者にも広まったのかもしれない。お忍びでやってくる外国人もいたそうである。

 創業者は「キャバレー太郎」こと福富太郎(84)=本名・中村勇志智。昭和6年、東京・大井町(品川区)に生まれ、中学2年のとき敗戦を迎えた。学校の農園のイモを掘り出し、焼け跡で見つけた鍋でゆでて売ったというから、若いころから「商才」があったらしい。

 飢える生活に愛想を尽かし、学校を中退。新宿のキャバレーにボーイとして住み込む。3年間無欠勤。掃除、皿洗いと必死に働いた。生真面目さとユーモアと頓知。信長につかえる藤吉郎(のちの豊臣秀吉)のようだった。

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