作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は「ヴァギナ」の物語を描いた朗読劇「ヴァギナ・モノローグ」に出演して、意識が変化したという。

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 先日、朗読劇「ヴァギナ・モノローグ」に出演した。アメリカの作家イヴ・エンスラーが200人以上の女性にインタビューして書いた「ヴァギナ」の物語で、20年以上、様々な国で上演されてきた。

 毎年2月は、収益を性暴力根絶運動に寄付する条件で、著作権フリーで上演できる。今回は、木内みどりさんはじめとする著名な俳優、DJのカワムラユキさん、そして私のような物書きも合わせて6人の女たちがステージに立った。

 ヴァギナ、という言葉にぎょっとする人もいるだろう。朗読者自身も恐る恐るだ。「ヴァギナ」に羞恥心を感じているというより、自分の体と結びつかない言葉だから戸惑う。だって、普段使いませんよね、ヴァギナ。私も使ったことは殆どなく、フツーに女性器とか外性器と言う。若い頃は女性器を表す四文字言葉を敢えて使うこともあったけど、男性器を表す赤ちゃん言葉を人前で言わないように、人前で使わなくなった。女性器の呼称を連呼せずとも、性を様々に、自由に、慎重に、だけど萎縮せずに語ることを、大切にしたいという思いが深まっている。

「ヴァギナ・モノローグ」は徹底的に女性目線で女性のために語られる。それは正確には性器の話ではなく、セックスの話でもない。語りの多くは、性暴力被害の話であり、女性差別の告発であり、生き抜いてきた女たちへの応援の物語だ。ヴァギナ=エロ、という期待で観に来た人には理解できない内容だろう。

 私は「ヴァギナ・モノローグ」をこれまで海外で何度も観てきた。大好きな芝居の一つだ。だから自分がこの物語に関われることをとても光栄に思いながらも、少し怖かった。

 
 2年前の冬、女性器の置物を飾っていた「罪」で留置場に入れられた経験は、人生をリセットするほど大きかった。それまで「男に生まれたかった」と思ったことは一度もないけれど、「女に生まれなければ、こんな目に遭わなかっただろうな」と突きつけられた体験の後は、この国で女として生きることにつくづく嫌気がさした。そんな私がヴァギナの物語を読めるのだろうか。怖かった。脚本の中に、こんな一文がある。

「(性暴力にさらされている女の)多くの声をエレガントに融け合わせることができました」

 練習の時にカワムラユキさんがこの一文の重要さを噛みしめるように読んだ時、こみ上げるものがあった。もしかしたら、私たちの社会になく、だからこそ私が求めていたのはこういうことなのではないか、と思えた。性を痛みを忘れずに語り、エレガントに、複雑に融合させていける優しさを、私は求めている。

 私はようやく、「性」について語ることを、もう一度始められるという思いになった。怖いと思いながらも、多くの人の前でヴァギナの物語を読めた。誘ってくれたプロデューサーの奥山緑さんや、翻訳家の常田景子さん、木内みどりさんや色んな方に支えられた。春が来た、って思えた。ありがとうございました。

週刊朝日  2016年3月18日号

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北原みのり

北原みのり

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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