林:ええ、ええ。
LiLiCo:そしてその2日後に東日本の大震災が来たんです。ニュースばかりでほかの番組が全部飛んだじゃないですか。スウェーデン大使館からも「臨時便を出します」という電話が毎日来るんですよ。
林:えっ、ほんとに?
LiLiCo:途中からは自動音声で、「乗りたい人は1を押してください」とか。でも、今帰ったらこの国に失礼だと思って。「この電話がいらない人は3を」というのがあって、「3」を押したらかかってこなくなりました(笑)。それから少しずつテレビがふつうに戻り始めたとき、NHKの「スタジオパークからこんにちは」に出たら、被災地の人からのメールがすごかったんです。
林:まあ、そうなんですか。
LiLiCo:「5年間も車の中に住んでて、こんなに明るくしている。私たちも見習わなきゃ」と。有名な人のよりも、まだイマイチな私が出たときの反響のほうが大きかったって。94歳のおばあちゃんが筆で書いたファクスをくれたり、「寝ていた猫も起きて一緒にテレビを見ました」とか(笑)。私も元気をもらって、そこから変わり始めましたね。そのあとに母が亡くなったんですよ。
林:おいくつだったんですか。
LiLiCo:69歳です。
林:まだお若いじゃないですか。
LiLiCo:唯一の救いは自殺じゃなくて病死だったことなんです。うちの社長は、「LiLiCo、これからすごいことになるよ。パパイヤ鈴木さんも、お母さんが亡くなられて、見守られてすごく売れたんだよ」って。実際そのとおりになって。
林:この活躍をお母さまに見てもらいたかったですね。
LiLiCo:きっと見てますよ。お母さんもおばあちゃんも。おばあちゃんは亡くなって10年ぐらいたちますけど。
※週刊朝日 2015年7月3日号より抜粋