しかし、社長に就任してから昨年までの5年間、業績回復に向けたチャンスがあったにもかかわらず、それが達成できませんでした。例えば近年、高級品の需要が回復してきているにもかかわらず、そうしたニーズを取り込むことができませんでした。これは経営上の失策でした。

 さらに売り上げの成長を蔑ろにしたコストカット続きで社員は疲弊し、また十分な賞与も払えず、社員たちからは「もう我慢の限界だ」「何とかしてほしい」という声が溢れてきた。このままでは大塚家具の自慢である優秀な社員たちがいなくなってしまうと強い危機感を持ちました。

 前期は3月までの消費増税前の駆け込み需要で一時的に順調でしたが、その反動減に対して有効な対策を打てなかった。久美子は3月までに広告宣伝費の予算を使い切ってしまい、その後の反動減の際には販促計画が全くない状態でした。その結果、4月から6月にかけて受注が大幅に減ってしまった。社内は、このままでは会社が潰れてしまうと大きく動揺しました。

 私は社長を指名した責任者として、何とか久美子のもとで会社をまとめようとし、業績回復のためにいくつかの権限を分けてもらえないか、と相談もしましたが、久美子に断られました。穏便に辞任するよう話し合いもしましたが、最終的には久美子から「それなら解任しなさい」と言われました。それでやむなく昨年7月、解任したのです。

 社長解任時、久美子は「今度は外から攻撃する」ということを言っていました。そのときは、何を意味するのかわかりませんでした。それ以降、久美子は会社にはほとんど姿を現さなかったのですが、昨年末ごろから動きが表面化しました。

(独占手記・後編に続く)

週刊朝日 2015年4月3日号より抜粋