ライブ後は必ず乾杯!(イメージ写真)
ライブ後は必ず乾杯!(イメージ写真)

「なごり雪」の伊勢正三(いせ・しょうぞう)、「木綿のハンカチーフ」の太田裕美(おおた・ひろみ)、「学生街の喫茶店」の大野真澄(おおの・ますみ)。70年代に数々のヒット曲を飛ばした3人がいま、「なごみーず」というユニットで活動している。ファンからの絶大な人気を誇り、コンサートはなんと10年間で200回を超える。還暦を超えてもなお、全力疾走し続ける彼らが司会に音楽評論家・富澤一誠を交えて過去と未来を熱く語った。

*  *  *

――3人で10年も続いたのはなぜでしょうか?

大野:めちゃくちゃ難しい質問だね。無理していないところかな。お客さんもそうだけど、グループ内も本当に和んでいるんですよ。そういう雰囲気が伝わって、本数も増えていったのかな。

伊勢:あとは、ライブの後の打ち上げのためかな(笑)。

太田:毎回必ず近くのファミレスみたいなところで乾杯してね。

――3人とも70年代にヒット曲を出してから、しばらく表舞台に出ていなかった時代がありましたよね。

太田:そういう境遇も3人とも似ているんですよ。

大野:16~17年間は表の仕事をしていない時期があった。歌手活動を再開したのは90年代に入ってから。

伊勢:僕は、93年に6年ぶりのアルバムを出して、復活と言われたけど、勢いが続かなかった。00年代に入ってから、ボーカルに誘われて、二郎ちゃん(杉田二郎)とコンサートをやり始めた。そのときはすごく嬉しかった。もしかして自分は嫌われ者なのかなって思ってたから(笑)。

――2人はもともと親しかった?

伊勢:かぐや姫時代から、楽屋でガロの3人とよく一緒になって、仲良かったね。音楽的なことを学んだのは、ガロとオフコースですね。でも、個人的に会ったり飲みに行ったりはしてなかったよね?

大野:正やんの犬を預かったことはある。うんこ漏らしちゃった子。音楽的な交流はなかったけど、友達関係はあったよね。

伊勢:同じ時代に喜びと痛みを分かち合った間柄だった。昔から培った信頼関係があったから、なごみーずに誘うときも、ボーカルの顔がぱっと浮かんだ。

――やはり伏線があったんですね。太田さんは、なごみーずを始める前は、何をしていたんですか?

太田:子どもたちが幼稚園に入った94年から、ちょっとずつライブを始めていました。すぐにコンサートが増え、コマーシャルソングも歌っていましたね。ちょうどインターネットが広まっていくころで、ファンサイトもできて、ファンの方々が盛り上げてくれたというのが大きかったみたい。だからレコード会社の方からも声がかかった。

大野:90年代の半ばくらいから、ゆずのようにアコースティックを弾く人が再評価され始めたんです。その後、僕らの世代が集まってやるコンサートにもお客さんが入るようになってきた。松山千春や南こうせつとか、ずっとがんばってきた人たちもいたけど、もっとその時代の音楽を聴きたいというお客さんが出てきて、僕もライブに呼ばれるようになったんです。

週刊朝日 2015年3月13日号より抜粋