ドラマや歌、「プロデューサー巻き」ファッションなど、「80年代リバイバル」が起きている。デビュー30周年を迎え、80年代に活躍した歌手の荻野目洋子さんが、アイドルとして活躍した当時を振り返った。

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 80年代は、いい意味でアクの強い時代だったと思います。毎日が高速道路をビュンビュンと走っているような感じで、作ったアルバムさえ、どんどん過去のものになっていく。そのときは、振り返る余裕なんてありませんでした。

 私が「ダンシング・ヒーロー」に出会えたことは運命だったと思います。ビクターの当時のディレクターさんが持っていた「Eat You Up」という原曲をウチの事務所の社長が聴いて、「これは良い曲だから荻野目に歌わせる!」と言ってくれたことで、私が歌うことになったのですが、最初はユーロビートの曲を歌いこなせるか不安もありました。まだ声も子供っぽかったですし。でもレコーディングで「なるようにしかならない」と開き直ったら、大サビの部分ですごくいい声が出て、限界をひとつ越えられた気がしたんです。やっぱり、ヒット作は自分の枠を飛び越えたときに生まれるんですね。

 ヒットと同時に私の生活も一変しました。音楽活動以外にもドラマやバラエティーの出演などがあり、睡眠時間は3時間くらい。その上、出席日数をクリアするために高校にも行かなくちゃいけない。レコーディングなのに、まだ曲を覚えきれていないとか、疲れて声が出ないということもありました。そういう状況で、バタンとスタジオの分厚いドアを閉められて窓のない部屋に一人でいると、孤独で息が詰まるような感覚になって、バーッとスタジオから逃走したこともありました。すぐに、マネジャーに連れ戻されてしまいましたが(笑)。

 当時のアイドルブームに関しては冷静にとらえていて、「私は普通だな」って思ってました(笑)。「優等生」と言われることもありましたが、うまく話せず、自分を表現できなかっただけなんです。

 
 だから、私がアイドルでいいのかな、という違和感はありましたね。周りはみんな髪の毛をすごくきれいにカールしていて、お人形さんみたいにかわいいコたちばかり。そういうコたちと同じ番組になって並んで、比べられると、劣等感を感じていました……。でも、私はもともと歌手志望だったので、自分の気持ちはぶれなかった。歌っているときは自分の世界に入り込んでいました。アイドルとして番組に呼ばれることは仕方ないことなので、逆に「うまく笑えるようにならなきゃ」と考えるようにしました。そうしないとついていけなくなっちゃうと思っていたし、必死でした。

 今のアイドルのコたちのことは「すごいなあ」と思って見てます。恋愛禁止とか大変そうだけど、すごくがんばっていますよね。

 私の場合は、かなり自然児でしたね(笑)。自然に好きな人ができて社長に報告したら「仕事とどっちを取るんだ? まだすぐに結婚できないだろう」と言われて、そのときは仕事を選びました。でも結局、そのとき好きになった人が今の夫ですから、結果的には良かったのかなと(笑)。

 今年、本格的に歌手復帰するにあたって、家族会議を開いたんです。子供たちに「マミーは今年デビュー30周年の記念の年なんだけど、仕事してもいい? 自分のことは自分でできるかな?」と聞くと、子供たちは「できる! お仕事がんばって!」と言ってくれたので、ありがたかったですね。夫も応援してくれています。

 10月にはライブもあるので、今は時間を見つけては、歌とダンスの練習をしています。今この時代に歌う「ダンシング・ヒーロー」は当時とはまた違ったものになると思いますが、若いコたちと同じことをやっても意味がないと思うんです。無理して「新しさ」を競うのではなく、「こういう見せ方があったのか」とお客さんが驚いてくれて、面白がってもらえるようなパフォーマンスをしたい。「また見たい」と思ってくださる方がいるのは、本当に歌手冥利(みょうり)に尽きると思っています。

(構成 本誌・作田裕史)

週刊朝日  2014年9月5日号