霧のウラジオストク駅の前のレーニン像
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霧のウラジオストク駅の前のレーニン像
アルセーニエフ記念沿海州総合博物館
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アルセーニエフ記念沿海州総合博物館
道をたずねた少年。でも、アルーセーニエフの住んでいた家は知らなかった
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道をたずねた少年。でも、アルーセーニエフの住んでいた家は知らなかった
シベリア鉄道はじまりのモニュメントの前のわたし
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シベリア鉄道はじまりのモニュメントの前のわたし
『デルス・ウザーラ』黒澤明監督作品
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『デルス・ウザーラ』黒澤明監督作品
『アンドレイ・ルブリョフ』アンドレイ・タルコフスキー監督作品
『アンドレイ・ルブリョフ』アンドレイ・タルコフスキー監督作品

 今、隔週刊で発行されている「JAZZ VOCAL」の創刊号についているCDを聴きながら、この文章を書いている。
 この本は、このサイトで連載をしていただいている後藤雅洋さんが監修をされている。このミュージック・ストリートでも紹介済みだ。また、アーカイブに入っている村井康司さんの連載も掲載されている。全26巻、通して聴いていったら、ちゃんとしたジャズ・ボーカル通になれそうだ。

【ロシア旅行記、その他の写真はこちら】

 さて、ウラジオストクの2日目だが、日本を出発するまでのあいだ、仕事がつまっていて、旅の計画を立てる時間もなかった。そこで、飛行機に乗っている間に『地球の歩き方』の通貨や交通についての知識を入れたりした。
 しかし、どこへ行こうかという予定も立てないまま、2日目の朝を迎えてしまった。

 とりあえず、街へ出ることにする。わたしが宿泊したのは、ウラジオストク駅のすぐ近くのプルモーリエというホテルだ。前回の写真でも紹介したように、シャワーのお湯の色は少し黄色いのだが、それ以外は、なかなかに快適なホテルだ。街も、駅を中心に広がっている感じなので、歩いてすぐに繁華街に出ることができる。

 今回の旅の目的のひとつに、音楽を聴きたいというのがあった。そこで、プレイガイドやライブハウスらしきものを探しながら、街を歩いた。ウラジオストクの町並みは、ヨーロッパのような趣があり、すぐ隣が中国や北朝鮮だというイメージはわいてこない。情報によると、北朝鮮直営のレストランがあり、北朝鮮の料理に加えて、よろこび組の2軍?の女の子たちがサービスをしてくれたり、歌を歌ってくれたりするとのことだったが、町中から少し離れていることもあり、今回は諦めた。それに、目的は、ロシアの文化だ。
 出発前、旅行代理店のスタッフに、ロシアの音楽やダンスを鑑賞できる場所はないかと質問したのだが、ぼくが希望しているような場所はないといわれてしまった。

 マドリッドに行った時も、何度かタブラオとよばれるフラメンコを見せる場所に通ったし、ソウルに行っても、伝統芸能的なダンスを見せる場所へ行った。できれば、現地の人たちが日常として楽しんでいるような場所に潜り込みたいが、それがかなわなくとも、観光客相手のダンスショーなどないものかと思ったのだが、ウラジオストクに、コサックダンスなどを見せてくれる場所はみつからない。

 駅前のアレウーツカヤ通りを5分も歩くと、メインストリートのスヴェトランスカヤ通りとぶつかる。この二つの通りの両脇には、近代的なビルは少なく、ヨーロッパにでも来たかのような建物が並んでいる。そして、この二つの大きな通りのかどに、アルセーニエフ記念沿海州総合博物館がある。

 みなさんは、黒澤明監督の映画『デルス・ウザーラ』はご覧になっただろうか? ソ連と日本の合作で、1975年アカデミー賞外国語映画賞を受賞している。
 実は、この映画には個人的な思い出がある。わたしは、この映画を試写会で観た。誘ってくれたのは、「第92回 音楽と本と酒の日々」に登場する、Y島君だ。 

 黒澤の映画ということで、楽しみに観に行ったのだが、ロシアを舞台にしているというのを会場で知り、意外な印象をもった。まだ大学にも入れない予備校生だったのだが、勉強ばかりしていてもだめだということで、予備校仲間のY島君と観に行ったのだった。
 観終わってから帰ろうとすると、アンケート用紙がおいてあった。はがき大で、マス目が書いてあり、感想を書くようになっている。新聞広告などに使われるのだという。採用されると、粗品がもらえると書いてある。
 わたしは「この粗品、もらうぞ」といって、アンケートに記入した。わたしの記憶では、「デルスは、かっこいい!」といった書き始めだったと思う。
 そしてしばらくして、広告に採用されたといって品物が送られてきた。革でできたペン皿だった。その新聞をわたしは見ていないのだが、わたしの人生における、はじめて新聞に載った文章だったはずだ。

 アルセーニエフ記念沿海州総合博物館を眺めながら、そんなことを思いだし、そして、黒澤の映画のことも思い出していた。10代の時に見た記憶なので曖昧なところがあると思うが、アルセーニエフは軍人で、シベリアの地図を作るために原野を旅する。その途中で、先住民のゴリド人の猟師、デルス・ウザーラと出会い、ガイドを頼む。一緒に旅をしながら、アルセーニエフは、デルスの自然とのつきあい方、その洞察力に感心し、友情を育んでいく。そんななか、わたしが覚えているのは、兵隊の一人が、食べ残した肉を焚き火の中に入れようとしたとき、デルスが叱責する。「火に入れてはいけない。この近くにおいておけば、たぬきさん来て食べる。焼いたら、なんにもならない」といったようなことを覚えている。デルスは、次にこの場所を通る人間、動物に、自分たちができることをして助けようとするのだ。この考え方は、10代の終わりのわたしには、大きく残ったのを覚えている。

 記念館を出ると、向かいに、音楽家のポスターが何枚か貼られた建物が見える。行ってみると、どうも劇場のようだ。地図を見ると、プレイスポット「沿海州フィルハーモニー」とある。その隣には、チケット販売所もある。わたしは「ジャズのコンサートはあるか?」と聞いた。すると、ブースの中にいたおばさまは「ないよ」といった仕草をして、なにかをしゃべった。わたしはそれが「オーケストラのコンサートしかないよ」と言っているのを理解した。言葉はわからなくても、意味は通じる、ということだ。

 今日の夕方からのコンサートだというので、チケットを買うことにした。いくらかたずねると、金額をいっているわけだが、ぜんぜんわからない。しかたがないので、1000ルーブル札を10枚くらいだした。1万円くらいだろうと思っていたので、足りなければ言ってくるだろうとの判断だ。すると、彼女はそこから1枚抜き取り、わたしの隣にいた母と娘に、「まったく、いくらすると思ってんだろうね?」といった顔で目配せをした。わたしは、そのあまりの安さに驚いた。

 チケットを買って、まだ時間があるので、アンドレイ教会に行くことにした。『地球の歩き方』には、「緑とピンクに彩られたロシア正教の教会」と書かれている。イコンの販売もしているとある。
 いつ頃からだろう、わたしはイコンが大好きになっていた。イコンとは、簡単に言ってしまうと、キリスト教の出来事を描いたものや、関連する人々の肖像画をいう。
 前回も出て来た、映画監督のタルコフスキーの作品『アンドレイ・ルブリョフ』は、15世紀のイコン画家、アンドレイ・ルブリョフを主人公に描いている。

 ニコライ2世凱旋門を抜け、アンドレイ教会が見えてきた。小さな、可愛らしい教会である。近づいていくと、そこから、サングラスをつけた美しい中年の女性が出て来た。彼女は、扉を出てから振り向いて、教会に向かい、何事かを熱心に祈っていた。わたしは、祈りをする人の姿に弱い。

 そんな思いがあったからか、中に入ると、小さな教会なのに、荘厳ななにかを感じた。多くのイコンが飾られ、写真撮影はたぶん禁止だと思うが、そう言われる前に、写真を撮れない雰囲気だった。そして、入り口の小さなショーウインドウに、小さなイコンがいくつか並んでいるのを見つけた。わたしは、その隣に座っていたおばあちゃんに、これとこれがほしい、と意思表示をした。
 すると、おばあちゃんは「ニエット!」といって、それから、ぶつぶつと独り言のようにしゃべった。わたしは「ニエット?」と聞き直した。彼女は、もう一度「ニエット」と言った。わたしは、これはお土産ではないよと言っているような気がしたので、諦めることにした。ほしいのだがな、と残念な気持ちで教会を出た。でも、それはそれでよいのかもしれない。自分に言い聞かせた。

 コンサートは楽しかった。チラシは、メンバーの名前以外ロシア語なのでわからなかったのだが、フェイスブックにあげたところ、友人がすぐに翻訳してくれた。
 演目は、「極東の春という音楽祭」。

リスト ハンガリー狂詩曲第2番
ポッパー ハンガリー狂詩曲op.68
ベートーベン ピアノ協奏曲第4番

第二部
グノー 歌劇「ファウスト」よりアリア「宝石の歌(?)」
韓国(朝鮮)の歌「まるで川を渡ってやってきた春のよう(訳者曰く、かなり直訳……)」
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第2番

でした。

 わたしは、ポッパーという作曲家を知らなかったが、この時の演奏は気に入った。女性のチェリストだったが、演奏は力強く、わたしは広大なロシアの原野を思い浮かべていた。

 他にも、魚市場、ウラジオストク要塞博物館、水族館、アルセーニエフの家記念館などを見て回った。

 3日目は、朝から濃い霧だった。この日は、鷲の巣展望台に行く予定だった。地図でみるとやや遠いので、タクシーで行こうかと思っていたのだが、歩けない距離でもないと思い、歩いて行くことにした。しかし、展望台ということもあり、高台にあるため、登り坂で1時間半ほど歩いたところで、かなり疲れてしまった。目的地を確認しようと上を見上げると、展望台があると思われる方向は、霧の中である。そのときになって、わたしはやっと気づいた。霧の日に展望台に上ろうとする奴は、雨の日に植物に水をやる奴と同じだと。

 展望台のお土産売り場が安くてよいと聞いていたので、行こうと思ったのだが、さすがに疲れ果て、かつ、自分の愚かさに気づいてしまったので、お土産は、初日に行ったレストラン、ノスタルギーヤに併設されたお土産コーナーに行くことにする。マトリョーシカを色違いで何個か買った。横には、教会で買えなかったイコンもたくさん売っていた。いくつか買った。

 近くの店で、シベリア鉄道に乗っている間に飲むための酒を仕入れることにする。目標は、スクリューキャップの赤ワインとウォッカだ。小さな店なので、探してもスクリューキャップがない。店の女性に「スクリューキャップのワインはないか?」とたずねると、女性は、近くにいた男性店員に「スクリューキャップだってさ」みたいな感じで、振ってしまった。男は、「スクリューキャップはないから、ウォッカにしたら」などと言っている。しかたがないので、日本で見たことがないようなラベルのウォッカを買う。
 それから、初日の夜に9時でしまってしまった24時間の店に行く。こちらはスーパーのような大きな店なので、スクリューキャップのワインもウォッカも、たくさんの種類があった。日本のビールも並んでいる。貧しさはまったく感じない。

 この後、シベリア鉄道に乗るのだが、まだ時間がある。見ると中国式マッサージと書いた看板がある。英語で書いてあるので、わかる。中国式マッサージって、わたしの想像しているマッサージと違っていたら、どうしよう?
 わたしは不安になりながらも、2日間歩き通しの上に、無意味な展望台への旅で疲れ果てたからだをなんとかしたくなっていた。
 ベルを押すと、中年のロシア人の女性が出て来た。何事かを話しかけてくるが、わからない。ようやくわかったのは、6時半から営業だと言っているようだ。シベリア鉄道へ向かうための待ち合わせ時間は、7時半だから、ぎりぎりだな、と思う。諦めて、向かいのゲートフというビアレストランに入る。ここは、お店の中にビールを造るためのポットスチルがある。この店でビールを造っているということらしい。お腹がいっぱいになったところで、6時を過ぎていることに気づき、もう一度、中国マッサージの店に行くことにした。ロシア女性は、やっぱり来たのね、と言った顔でわたしを見て、中に案内してくれた。何時間コースにする?と言っているようだ。英語は、少しわかるようだ。わたしは、1時間だが、今夜、シベリア鉄道に乗るので、時間がないと説明する。お互い、どこまでわかっているのか不安だ。6時半になる少し前に、アジア人顔の30代くらいの女性が来た。彼女が、マッサージ師だった。隣の部屋へ案内され、服を脱げと言われる。少し、英語ができるようだ。わたしは、ユニクロと歌舞伎座がコラボしたという、ステテコ姿になった。彼女はうれしそうに、それは日本の下着か?と聞いてきた。気に入ったようだ。わたしは、「ステテコ」と教えてあげた。
 彼女は中国人だが、ロシアで生まれ、中国語はわからない、と言っていた。1時間、マッサージをしてもらった。わたしの不安は、杞憂に終わった。彼女のマッサージは、わたしの疲れを癒やしてくれた。そして、ホテルの集合時間の10分前に終わるように、お願いした。「これから、シベリア鉄道に乗るんだ」というと彼女は、わかったと言って、丁度10分前に終了してくれた。

 ホテルは、そのマッサージ店から歩いて5分だ。部屋に戻って、荷物を持ってロビーに行くと、あの空港の迎えに遅刻したお兄さんが来ている。
 荷物を彼が持ってくれて、ウラジオストク駅まで歩いて行くようだ。
「駅の中を案内しようか?」と聞いてくれるが、すでにへとへとなので断る。
 ホームについて、すでに停車している電車を指さし、「これが、あなたが乗るシベリア鉄道の列車だ」などと言っている。
 そして、チケットを見せろ、と言う。わたしは、持っていたA4のチケットを渡した。そして、列車番号と席番を確認し、この貨車だ、と教えてくれる。なかなか親切じゃないかと思っていると、「モニュメントを見に行こう」という。そして、「これがシベリア鉄道の出発点のモニュメントなのだ」と説明する。そして、写真を撮ってくれるという。わたしはiPhoneを渡して、撮影してもらった。そのあと、彼は待合所まで案内してくれた。そして「時間まで、ここで待っていればいいから、乗り遅れるなよ」などと言って去って行った。わたしは、乗るまではいてくれないんだな、と思いながら、チケットを返してもらっていないことに気づいた。席番を確認したまま、彼は、わたしのシベリア鉄道への乗車券を持って帰ってしまったのだ。姿はもう見えない。大きなスーツケースを置いて、探しにも行けない。

 わたしは、おろおろしながら、行ったり来たりしていた。急いで、メールで旅行代理店に連絡した。間に合えば、電話してくれるかもしれない。しかし返事は来ず、時は過ぎていく。頭の中で、このあとのシミュレーションをする。さっきのホテルに戻り、もう一泊する。いや、交渉しよう。

 チケット販売窓口に行き、状況を説明する。この時ばかりは、iPhoneの同時通訳ソフト、iTranslateが役に立った。わたしが日本語でしゃべったものをロシア語の文字と発音をしてくれるのだ。

 駅のチケット販売所には、二人の女性スタッフがいて、わたしの話を聞いて、「で、チケットは持ってるの?」とたずねる。「だから、持って行ってしまったのだ」というと、「チケットを持っていなければ、乗れないわ」と言われる。ここで、やっと気づいた。買い直せばよいのだ。そういうと、カウンターの向こうの女性スタッフが、「チケット売り場は、あちらよ」と教えてくれた。

 わたしはあらためて、ハバロフスクまでのチケットを買い、列車に乗った。
 乗るとまもなく、列車は、静かに、走り始めた。(つづく) [次回5/25(水)更新予定]