『17-11-70』エルトン・ジョン
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『17-11-70』エルトン・ジョン
生まれて初めて買ったエルトンの海賊盤
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生まれて初めて買ったエルトンの海賊盤
『マッドマン』のレコードと解説
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『マッドマン』のレコードと解説
ピンク・フロイドとサンタナのライヴ
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ビートルズとジョン・レノン
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レッド・ツェッペリンの10枚組
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ボブ・ディランの10枚組
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ボブ・ディランの10枚組

 わたしとエルトン・ジョンとの出会いは、多くの人がそうであるように、《僕の歌は君の歌》だと思っているのだが、1970年の発売当時、日本では、ヒットチャート(100位以内)には入らなかったそうだ。そのころ上映された映画『フレンズ~ポールとミッシェル』のサウンド・トラックの《フレンズ》をエルトンが歌って、ヒットしていた。映画『フレンズ』は、14歳の女の子ミッシェルと15歳の男の子ポールが恋愛をし、妊娠をし、出産するというストーリーで、ほとんど同世代だった中学生のぼくも、同級生の女の子と観に行った記憶があるのだが、草原の中のふたりの映像とエルトンの歌声しか記憶にない。それと、ふたりが顔を寄せ合って悩んでいる姿も少し覚えている。中学生のわたしたちにとって、あまりたのしい映画ではなかったということだろうか。というか、わたしは、今になって考えれば、かなり奥手で、女の子と映画を観に行ったりしてはいたが、どうしたら、子どもができるのかも、正確には、わかっていなかったと思う。

 さて、エルトン・ジョンのレコードは、ベスト盤『スペシャル・コレクション』を買って聴いていた。当時、彼は吟遊詩人と呼ばれ、ロック界の王子様のようなイメージだった。ところがしばらく立つと、レコードの中のエルトンとライヴでのエルトンは、かなり違うようだという情報が入ってきた。奇抜な衣装を着て、ピアノの上に乗ったりして、ロックンロールをやるらしいというのだ。そして、ついに、ライヴ・レコードが発売された。『17-11-70』だ。これは、1970年11月17日のライヴ、ということだ、わかりやすい。そしてライヴでは、自作の曲だけではなく、ビートルズやエルビス・プレスリーやローリング・ストーンズの曲も演奏するというのだ。そして、このライヴ・アルバムにも、ビートルズの《ゲット・バック》やエルビスが歌っていた《マイ・ベイビー・レフト・ミー》が、最後のメドレーとして入っていた。ロックのエルトンもいいなあ、と思ったものだ。

 同じ年のエルトンの新譜は『マッドマン』で、壮大なオーケストレーションをバックに、エルトンもリリカルに歌っていた。このアルバムでわたしが興味を持ったのは、その編曲を担当したポール・バックマスターだった。彼は、サード・イヤー・バンドにも参加していて、わたしの大好きなロマン・ポランスキーの映画『マクベス』のサウンド・トラックも担当している。後に、『マイルス・デイヴィス自伝』の中に、ポール・バックマスターの名前が出てきて驚いた。興味のある人は、ぜひ一読を。

 さて、1973年といえば、なにを思い出すだろうか? わたしは、ローリング・ストーンズの来日騒ぎだ。わたしは、高校2年生だった。当時、自転車通学だったわたしは、学校帰りに、マルエス・レコードというレコード屋によって帰ったものだ。つまり、道草だ。ある日、そのお店のおにいさんが、「ストーンズ、来るよ。ストーンズ好きでしょ?」と話しかけてきた。すでに、『スティッキー・フィンガーズ』や『メイン・ストリートのならず者』をこの店で買ったことを覚えていてくれたのだろう。「はい、好きです」というと「行きたい?」と聞いてきたので、「はい」と答えたのだった。

 それからしばらくして、お店に行くと、おにいさんは、「チケット、買えたよ。2800円」と言った。次の日にお金を持っていくと、チケットをくれた。まだ、チケットぴあなどなくて、印刷で、席番などは、ゴム印で一枚ずつ押してあるスタイルだ。「いっしょに行く?」と聞かれたので、「はい」と返事をした。72年の年末のことだ。
 そして、開けて73年の1月、ローリング・ストーンズの来日公演中止が発表された。大麻所持が理由だった。

 マルエス・レコードに行くと、おにいさんは、「中止になっちゃったね。チケット、どうする?」と、わたしにたずねた。考えあぐねていると、「払い戻しもできるし、持っていてもいいんだよ。持っていれば、あとで高くなるかも知れないよ」と笑いながら言った。

 わたしはしばらく考えて、「払い戻しします」と言った。おにいさんは、「そうだよな、わかった。レコードでも買う?」とわたしに言った。

 わたしは突然、レコードを買う権利を手に入れたような気がした。そこで、普段は買わないようなものを買おうと思ったのだ。レコード棚を見ていると、見たことのないレコードに気づいた。エルトン・ジョンのレコードだった。白い段ボールのジャケットに、茶色い紙に、曲名が書いてあるだけのジャケットだ。タイトルは、『ヴェリー・アライヴ』。エルトンのライヴ・レコードと似たような選曲だが、少し、違う気がする。わたしが頭からはてなマークを出していることに気づいて、おにいさんが説明してくれた。
「それは、海賊盤だよ。ブートレッグともいうな。正規のレコード会社が出したのではないんだ。なかなか手にはいらないよ。そのエルトンのは、《黄昏のインディアン》をオーケストラなしで演奏しているし、《ホンキー・トンク・ウィメン》も入ってるよ。それから、レコード盤は黄色だよ」
 そんなものが、この世にあるとは知らなかった。
 わたしは、ローリング・ストーンズの幻の73年来日のチケットを払い戻しして、代わりに、エルトン・ジョンの海賊盤を購入したのだった。いまでこそ、CDの時代になり、『17-11-70』の中には、《ホンキー・トンク・ウィメン》が入れられたが、《黄昏のインディアン》は未発表のままだ。

 その後、わたしはいろいろなアーティストの海賊盤があることを知った。それらの多くは、ライヴの音源をレコード化したものが多かったが、スタジオ録音したものも少なくなかった。

 高校までを過ごした宇都宮のレコード店では、ほとんど手に入らなかった。雑誌の通販コーナーで、ピンク・フロイドとサンタナの海賊盤を見つけた。一般のレコードより、1.5倍から2倍くらいの値段だったと思う。それに、送料が加わる。それこそ、人生をかけるような気持ちで、郵便局に行き、人生で最初の振込を体験した。

 その後、わたしは東京に出て来て、演劇をはじめるのだが、空いた時間にはアルバイトをして、レコードと本を買う生活を送った。レコードも本も、中古で買うことが多くなった。そして、海賊盤も買うようになった。ビートルズやレッド・ツェッペリン、ボブ・ディラン、ジョン・レノンのソロなど、ライヴもスタジオ録音のテイク違い(同じ曲でも、演奏が違うもの)が聴きたくて、バイト代は、レコードと本に消えていった。

 その後、CDの時代になり、海賊盤は、ますますよい音で聴けるようになっていった。
 そして、今はインターネットでお金を払うこともなく、当時、海賊盤で聴いていた音源や動画を見られるようになった。
 今回、この文章を書くために、何十年ぶりかで、そのときのエルトンの海賊盤を聴いた。高校生のあの頃の八畳間で聴いた記憶が、蘇ってきた。ついでに、当時購入した海賊盤の写真を紹介する。

 最後に、エルトン・ジョンのレコード『マッドマン』の解説に、文化放送の渡辺勲さんが、エルトンの初来日の印象を書いているので、それを紹介したい。以下、引用。

「これまで、僕は何度となくエルトン・ジョンをカッコいいと云い続けて来た。そしてまたこれは僕の使う貧しい言葉の中ではそれこそ最大級の讃辞であったのだ。まず、これから訂正しなければならない。日本にやってきたエルトン・ジョンは、少しもカッコ良くなんか無かった。むしろ徹頭徹尾カッコ悪っかったのである。羽の生えた裏皮の靴も、ひざまでの縞のストッキングも白のバミューダ・パンツも、きんきらきんのランニング・シャツも青いヴェルヴェットの長いマントも、そしてつばの大きな帽子も何もかもがアンバランスでサマになっていない。肥り気味の身体。ポコンとつき出たお腹とお尻、そして、野坂昭如氏のような風貌で時おり客席をみてニタリと笑うのである。ピアノに足を乗せたり、鍵盤の上で逆立ちをすると聞けばこれは素晴らしくカッコ良いエキサイティングなステージを想像するのも無理はないが、これが、聞くと見るとは大違い。例えばピアノに足を乗っけることも演奏が盛り上がったところでやるのならともかく、何ら必然性のないところでほとんど唐突にやらかすのだからたまらない。逆立ちしたっててんで決まっちゃいない。少し前に見たレッド・ツェッペリンとはエライ違いなのである。ロバート・プラントの、ジミー・ペイジの華麗な動きとは全く対照的であった。まさにそれは海を渡ってきた気違い男そのものであった。
 とこう書くといかにも僕がエルトン・ジョンのステージに失望したように思われるかも知れないが、実際は全くその反対で以前にも増して僕はエルトン・ジョンが大好きになってしまったのである。」

 ジャケット写真の横に、レコード解説もいっしょに撮影した。見ていただければわかると思うが、エルトンのシャツの模様は、唇である。確かに、少し、変わっている。

 エルトン・ジョンは、その後、数々のヒット曲を出し、男性と結婚したりなど、たびたびのゴシップを振りまきながら、1998年には、ナイトに叙勲された。

 そのエルトン・ジョンが、再び、日本にやってくる。人生とはたのしいものだと、思わせてくる人だ。[次回10/7(水)更新予定]

■来日情報はこちら
http://www.udo.co.jp/Artists/EltonJohn/index.html