ジャズ喫茶「いーぐる」店主 後藤雅洋さん
ジャズ喫茶「いーぐる」店主 後藤雅洋さん
『ジャズ喫茶リアル・ヒストリー』後藤雅洋
『ジャズ喫茶リアル・ヒストリー』後藤雅洋

 正直言って、ジャズ喫茶が大好きだ。
 40年前から、ジャズ喫茶にはよく通った。大学生の頃からだ。

 中学生の時にレッド・ツェッペリンを聴いてロックにはまったのが、音楽にのめり込むきっかけだった。今でいう洋楽を聴いている同級生は、クラスの1割くらいしかいなかった。少数派である。ポップスも含めて、お互いにレコードの貸し借りをして、音楽の知識を増やしていった。
 吉田拓郎の《結婚しようよ》や《旅の宿》などがヒットして、フォーク・ブームがやってきた。フォークの好きな連中は、うまいへたに関わらず、ギターを持っている人が多かった。従姉妹にフォーク好きな子がいて、レコードをよく貸し借りした。そうして、フォークの知識もすこしづつ増えていった。
「ジャズって、カッコいいよな!」という人はいたが、ジャズのレコードを持っている友達はいなかった。

 わたしの父は、わたしが子供だった頃、「アメリカは敵だったんだ」などと言ったりすることがあったが、スイング・ジャズとマーチが大好きだった。わたしが生まれた頃には会社員になっていたが、若い頃には、ラッパが吹きたくて自衛隊の吹奏楽隊に入っていた。家にもトランペットがあった。わたしも子供の時からおもちゃ代わりに吹いたりしていたが、まったく上達しなかった。フェリーニの《道》を吹いてみようと試みたが、映画の中のジェルソミーナの吹くラッパと同じようなレベルだった。ププップーと音が出る程度だった。

 父は、世界のマーチというような24曲入りソノシート2枚組を母に買ってこさせて、わたしに与え、行進曲を覚えさせた。おかげで今でも車を運転するときに行進曲をかけて、同乗者にびっくりされたりする。
 しかし、ジャズのレコードは買ってこなかった。テレビで『グレン・ミラー物語』や『ベニー・グッドマン物語』を放映するときは、家族全員で見た。紅白歌合戦などを見ていても、「今年はバックの演奏は『原信夫とシャープスアンドフラッツ』か、原さんは、海軍軍楽隊出身なんだ」などと言っていたが、もっぱら、ジャズはラジオで聴くだけだった。

 つまり、東京に出てきてジャズ喫茶に通うようになって、はじめてまともにジャズと出会った。それも、でかいスピーカーで大音量、いい音でジャズを聴いたのだ。

 そのころのわたしは文京区の4畳半の間借り暮らし。オーディオは、トリオの中級機プリ・メイン・アンプKA―5002を使ってはいたが、スピーカーは、秋葉原で買ったフォステクスの手作りキットだった。10cmフルレンジバスレフ型。ネットで検索したところ、いまでも同じ大きさのものが、「初めてスピーカークラフトをされる方にお勧めのフルレンジスピーカーユニットです。」と紹介され、販売されている。

 実家には、30cmウーファー付きのティアックのスピーカーLS―360があったのだが、当時住んでいた4畳半の部屋に持ってくるには無理があった。当時でも今でもティアックのスピーカーというのは珍しいが、この頃はタンノイの代理店もやっていた頃で、タンノイのスピーカーに音が似ていると、オーディオ・ショップの店員さんに勧められたのを覚えている。作りはしっかりしていて、今でも実家に置いてある。

 前置きがまた長くなってしまったが、「いーぐる」に入る前に、いっしょに行ってもらうことになったオーディオ・ショップ「SOUNDCREATE Legato」の竹田響子店長を紹介しておこう。

「SOUNDCREATE Legato」は、銀座通りにあるおしゃれなオーディオ・ショップだ。古くてよい音のするヴィンテージ・オーディオから、最新のデジタル・オーディオ、ネット・オーディオまで扱っている。女性が喜びそうなオーディオも置いてある希有な店だ。

 最初は仕事場の築地から近いオーディオ・ショップを探して伺ったのだが、中古レコードも扱っていたので、うれしくなってしまった。何十年か前には、銀座にも「ハンター」という中古レコード屋があったのだが、「ハンター」がなくなってからは、銀座で中古レコードを扱っているお店はなかったはずだ。
 思わず、「見てもいいですか?」と尋ねると、きれいな女性スタッフが、近くにあった素敵な革の椅子をレコード棚の前まで持ってきて、「どうぞ、ごゆっくり見てください」と言ってくれた。

 こんなことは初めてだった。だいたい中古レコード屋でレコードを探していると、店の主人が(ほとんどが、おじさんね)こちらを見て、「レコードを音をたてて落とさないで」などと注意されることはあっても、高級な椅子まで用意してもらえるなんてことはない。レコードを買い始めて40年、新鮮な体験だった。しかも、中古LPのジャンルも、ジャズ、クラシック、ロックとそろっていて、輸入盤でオリジナルかそれに近いものが多く、2万円くらい買ってしまった。
 それから男性のスタッフを交え、ネット・オーディオとPCオーディオの違いなどについて質問した。帰り際に、女性スタッフから名刺をいただいた。その方が、店長の竹田響子さんだった。

 1カ月くらい前のことだが、こんどわたしが主催するコンサート「こじゃず」の打ち合わせの時に、こじゃずの女性ディレクターに「オーディオ好きの女性、どこかにいないかな?」と聞いたばかりだった。今回の「~音楽の聴ける店へ行こう~」の企画をいっしょに、やってくれる人を探しての質問だった。そのディレクターは「いない、いない、オーディオ好きの女性なんて、そうたくさんいるわけないじゃない」と冷たい返事だった。
 そこに現れたのが、竹田さんだった。音楽が好きで、オーディオが好きで、魅力的な女性、この企画にぴったりではないか! 自己紹介をして、企画の趣旨を説明したところ、快諾いただいた。

 そして、第1回目、ジャズ喫茶「いーぐる」である。

 四谷の駅から新宿方面へ歩いて数分の新宿通り沿い。お店のある地下への階段を降りようとしたら、竹田さんが叫んだ。
「1967年からやってるんですね! わたしの生まれるずっと前だ」入り口の看板に創業年が書いてあったのだ。わたしは素早く彼女の年齢を計算しようと思ったのだけれど、最近はパソコンや電卓ばかり使っているので、暗算がうまくできないまま、お店の中に入ってしまった。

 店主の後藤雅洋さんが、迎えてくれた。
 後藤さんには、この【Music Street】で、[ジャズの聴き方・楽しみ方]を連載していただいている。今は、レーベルごとの違いがテーマだ。また、以前には【ジャズ・ストリート】で、[ジャズ名盤の聴き方][ジャズ喫茶B級名盤]も連載していただいている。
 というわけで、初めてお会いしてから8年近くたっている。しかし、こんなふうにお話をさせていただくのは、これが最初だ。

 お店は、開店から18時までは静かにジャズを聴いてもらうが、18時以降はお店の照明がすこし暗くなり、楽しく語り合えるジャズバーに変身するとのこと。お酒を飲んで、しゃべってもよいのだ。

 お店ができたのは、1967年。後藤さんが20歳、大学2年生の時だという。
 60年代~70年代にかけて、ジャズ喫茶はブームだった。都内に60軒、全国には800軒から1000軒ほどあったという。詳しくは、後藤さんの著書『ジャズ喫茶リアル・ヒストリー』をどうぞ。わたしも帰ってすぐに注文した。
 お父様が経営していたバーと入れ替わるように始まったとのことだが、最初から家賃はきっちり支払っていたという。その厳しさ、甘えのなさが、今でも長く続く礎なのではないかと思う。

 後藤さんの話からは、強いプロ意識を感じた。
 まず、ジャズ喫茶をやるときに、オーディオ・マニア、ジャズ・マニアではいけない、ということだ。
 オーディオ・マニアは、自分の好きな音楽を、自分の好きな音で聴くために工夫をするが、ジャズ喫茶はそれではいけない。みんなが聴けて、しかも聴き疲れしない音でなくてはいけない。

「いーぐる」は、オーソドックスなジャズを基本とする。そこではブルーノートもECMも、それなりに聴けなくてはならないのだ。
 アナログもCDもかけられなくてはならない。新譜を紹介することも重要な役割だから、CDも必須だ。そして両者の音に、大きな隔たりがあってはならない。

 お店の中では、座る場所によって音に違いが出るのは仕方ないが、どこに座っても変にならないように工夫をする。
 オーディオ・マニアなら、自分の椅子の位置さえ確保すればよいのだが、お店ではそうはいかない。オーディオ・マニア的な発想では、ジャズ喫茶は失敗する。
「いーぐる」では店の中に段差をつけ、カーテンの裏に吸音材を入れるなどの細かい工夫をしている。

 新宿通りが広がった71年に場所をすこし移動したが、基本、新宿通り沿いに店を構えている。道が広がる前は、まだ新宿通りを都電が通っていたという。
「いーぐる」のオーディオは、詳しくはお店のホームページの情報を見ていただくとして、スピーカーはJBL4344MarkIIを使っている。ウーファーは、6~7年ごとに交換しているとのことだ。

 竹田さんが「オーディオ機器って、どんなときに変えるんですか?」と質問したところ、後藤さんは、いたずらっ子のように「壊れたとき」といって、笑った。
 竹田さんが告白した。
「わたしジャズ喫茶、初体験なんです。だってなんか怖くって……。でもここ、ぜんぜん怖くないです」あたりまえです。

「ところで曲順って、どう決めるんですか?」
 この質問が、後藤さんに火をつけた。分厚いファイルを持ってきて、
「この順に、かけるんです」といった。あらかじめプログラムが決まっているのだった。
 曲は、そのときの気分でかけてはいけない。選曲は、起承転結に則って作っていかなくてはいけない。そこには、物語があるのだ。トランペットばかりを続けるわけにはいかないのだ。
 アナログなら片面、CDなら2~4曲くらいで、演奏者を変える。CD丸々1枚すべてなんてかけない。

 後藤さんは、有線放送で「D―51ch ジャズ喫茶いーぐる」というチャンネルを持っている。これは、「ジャズ喫茶いーぐるの店内の選曲をそのまま楽しめる後藤雅洋100%選曲チャンネル」だという。このあたりの曲のリストを見ると、後藤さんの物語の秘密が見えてくるかもしれない。

 最後に、ハイレゾ音源の話をしたが、後藤さんは、まだ聴いたことがないとのこと。
「CDでも、リマスターがすべてよいというわけではないよね」と後藤さん。わたしと竹田さんがうなずく。
「レコードも、オリジナル盤が絶対いい音というわけでもない。もちろん、オリジナルにいい音のものが多いのは事実。でも、日本盤の方がよいときもある」
「聴いてみなければ、わからないですよね」
 3人とも、うなずいた。[次回5/28(水)更新予定]

■ジャズ喫茶「いーぐる」
http://www.jazz-eagle.com/index.html

■オーディオ・ショップ「SOUNDCREATE Legato」
http://www.soundcreate.co.jp/legato/