『タイム・アウト』デイブ・ブルーベック
『タイム・アウト』デイブ・ブルーベック

【お知らせ】

 当コラム『音楽玉手箱』を執筆する中山康樹さんは、2015年1月28日、お亡くなりになりになりました。
 ミュージック・ストリート編集部では、生前に書きためておられた数カ月分の原稿を、中山さんより頂戴しておりました。

 その後、いただいていた原稿を順次掲載してまいりましたが、最後の原稿となってしまいました。今回で、『音楽玉手箱』は最終回となります。長い間ご愛読いただき、ありがとうございました。

 今後、当編集部では「ジャズ・ストリート アーカイブ(JAZZ STREET ARCHIVE)」において、中山さんが執筆された『マイルスを聴け!』を、録音順にリスト化する作業を進めており、後日公開の予定です。生前、中山さんが出版されてきた書籍『マイルスを聴け!』シリーズの余録となりますので、あわせてお読みいただけたら幸いです。

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 デイブ・ブルーベックには、大ヒット曲《テイク・ファイブ》が収録されている『タイム・アウト』をはじめとする通称「タイム・シリーズ」があるが、一方にはアメリカ、ユーラシア、日本そしてニューヨーク等をテーマにした、いわゆる「印象シリーズ」がある。ふたつのシリーズに明快なちがいはないが、「タイム・シリーズ」ではグループとしての表現、「印象シリーズ」ではブルーベックの作曲家としての才能に力点が置かれ、このふたつのシリーズは一種の補完関係にある。

 ところでジャズの世界で“クラシック・カルテット”といえば、伝説のサックス奏者ジョン・コルトレーンが60年代に率いていたカルテットを指すことが多いが、ぼくはブルーベックのカルテットもまた、十分にクラシック・カルテットの称号を与えられるのにふさわしいグループだと思う。ついでに言わせてもらえば、ブルーベックはとにかく過小評価されている。ぼくの目には、まったく評価されていないと映ることさえある。ああ、なんと理不尽なことか。

 デイブ・ブルーベックは、マイルス・デイビスやオーネット・コールマンそしてコルトレーン等に匹敵する革新的なジャズ・ミュージシャンであり、まさしく「天才」と呼びうる存在だった。ちなみにマイルスの『カインド・オブ・ブルー』とほぼ同じ時期に吹き込まれた『タイム・アウト』は、なにしろ《テイク・ファイブ》だけが別格的にヒットしてしまったために音楽的革新性が顧みられることはなかったが、本質的な部分で、『タイム・アウト』はタイム(テンポ/リズム)における驚くべき実験作だったと思う。

 ブルーベック(ピアノ)、ポール・デスモンド(アルト・サックス)、ユージン・ライト(ベース)、ジョー・モレロ(ドラムス)というメンバーで構成されたクラシック・カルテットは、デスモンドが作曲した《テイク・ファイブ》のような例外もわずかにあったが、基本的にはブルーベックの作品を発表・表現する最良の舞台として機能した。彼らはブルーベックが書く、しばしば複雑怪奇な構成をもった曲を楽々とこなし、その曲の世界をさらに膨らませた。

 こうしたカルテットの特性が最も活かされているのが、前述した「印象シリーズ」だった。とくに聴いてほしいのが、『日本の印象』。多くの場合、この種の企画は異国に対する「かんちがい」がはなはだしいものだが、ブルーベックの高い音楽性と慧眼は、日本人が聴いて誇れるような作品を生み出した。これはきわめて稀なことだと思う。そして『ニューヨークの印象』がある。

 このアルバムは、「印象シリーズ」の他のアルバムと成立過程が異なる。すなわちこのアルバムに収録されている11曲は、テレビ・シリーズ『ミスター・ブロードウェイ』で使用するために書かれた。もっとも番組名は「ニューヨーク」を指し、したがってこのアルバムは番組を離れても一個の作品として成立、「印象シリーズ」に花を添えるものとなっている。

 録音は1964年6月から8月にかけて断続的(6/18、24、25、7/15、8/11、19、21)に行なわれた。ツアーで多忙だったことが理由として考えられるが、それだけ慎重にセッションに臨んだともとれる。果たしてクラシック・カルテットは、ブルーベックが用意したさまざまな個性をもった楽曲をどんなふうに料理しているのだろう。サウンドの彼方から、曲名にもなっているブロードウェイ、ワシントン・スクウェア、セントラル・パーク等の光景が浮かんでくるかもしれません。