『ダイレクトステップ』ハービー・ハンコック
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『ダイレクトステップ』ハービー・ハンコック
『ザ・ピアノ』ハービー・ハンコック
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『ザ・ピアノ』ハービー・ハンコック
『ファイブ・スターズ』VSOPクインテット
『ファイブ・スターズ』VSOPクインテット

 中山康樹さんはお亡くなりになりましたが、今後もいただいた原稿を当分の間掲載し、『音楽玉手箱』を継続していきます。

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 このアルバムは1978年10月、東京のスタジオで「ダイレクト・カッティング」と呼ばれる方式でレコーディングされた。アルバム・タイトルの『ダイレクトステップ』はそのレコーディング方式に由来している。ダイレクト・カッティングとは、ものすごくカンタンに言ってしまうと、ミュージシャンが出した音をそのままレコードにカッティングしてしまう方式、ということになる。海外では「ダイレクト・トゥ・ディスク」と称されることもある。演奏をテープに録音するという一般的な工程が省かれ、それによって高音質を得ることができる。制約としては、レコード片面分を通して演奏・カッティングしなければならない。それだけにミュージシャンやエンジニアは失敗が許されず、もしも演奏にミスがあったり機器上のトラブルが起きたりした場合は、最初からやり直すことになる。

 ハービー・ハンコックは70年代後期にダイレクト・カッティングによる3枚の画期的なアルバムを残している。いずれも来日した折に東京のスタジオでレコーディングされた。

 1枚がこの『ダイレクトステップ』及び同時期に吹き込まれたソロ・ピアノ・アルバム『ザ・ピアノ』、そして3枚目が翌79年に吹き込まれたVSOPクインテットの『ファイブ・スターズ』。いずれも高音質レコードとして話題を呼んだが、当時のハンコックのグループを「スタジオに入れた」という点にも注目したい(結果的に『ファイブ・スターズ』はVSOPクインテットにとって唯一のスタジオ録音作になった)。

 幸運なことに、ぼくは『ダイレクトステップ』と『ファイブ・スターズ』のレコーディングに立ち会うことができた。レコーディング方式については事前に説明を受けていたが、少なくとも表面的には通常のレコーディングと変わるところはなかった。もちろんミュージシャンたちは緊張していただろうが、それをオモテに出すような人たちではなかった。百戦錬磨の彼らだからこそ与えられた挑戦だった。そしてそれは彼らにとって「ワクワクするような体験」でもあった。とはいえ打ち合わせは入念に行なわれ(ひとつにはエレクトリック・キーボードが多かったため)、おかげでカメラマンはスタジオ内でいつも以上にシャッターを押すチャンスがあったと記憶している。

 現場で聴いていた人間の感想を優先させれば、ハンコック・グループの演奏は、当時は盛んにフュージョンやブラック・コンテンポラリーといわれ、むしろジャズよりもその周縁で話題にされることが多かったが、その瞬間的な展開とグルーヴ感において「ジャズ」の衝動を十分にそなえたものだった。おそらくこれはダイレクト・カッティングという特殊な録音方式がもたらした影響だろう。つまりミュージシャンたちは、一発勝負のライヴとして演奏をくり広げた。場所が、観客不在のスタジオだったというにすぎない。

 この状況を別の視点から捉えた場合、ミュージシャンにしてみれば、いつものライヴと同じように演奏すればよかったことになる。それが必要以上の緊張感を周囲に感じさせなかった要因かもしれない。しかしながらいつものライヴとは明らかに異なる緊張感と雰囲気がたしかに漂っていた。ダイレクト・カッティングによって制作された前述の3枚のアルバムには、そうした独特の空気までもが真空パックされているように思う。

『ダイレクトステップ』は、たとえスタイル的にはジャズではないのかもしれないが、それだけに逆説的に猛烈に「ジャズ」を感じさせる。《バタフライ》や《アイ・ソウト・アバウト・ユー》がたんなるセルフ・カバーに終わらず新しい魅力を発散させているのも、そこにジャズ的な展開と発想があったからだろう。《シフトレス・シャッフル》は『ヘッドハンターズ』の未発表曲(のち『MR.ハンズ』収録)だが、まるでジャム・セッションのように聞こえる。特殊な録音方式が引き出した、ハンコック・グループのジャズ性の勝利といっていいと思う。そして興味深いのは、エレクトリックを積極的に取り入れていたハンコック・グループの演奏がきわめてアコースティックに響くことで、この謎はいまだに解けない。[次回3/16(月)更新予定]