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 レコード会社のジャズ担当嬢から突然、電話がかかってきた。焦った様子で、四谷にある写真スタジオにすぐ来てほしいという。

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 聞けば、ジャコ・パストリアス(エレクトリック・ベース)の宣伝用写真を撮るためにスタジオを予約したけれど、手配したカメラマンをジャコが気に入らず、どうしても内山に撮らせろとゴネているらしい。

 1978年に来日したウエザー・リポートの日本ツアーを追っかけて以来、撮影のために裸のベース・ギターを携えて銀座の街を歩いたり、地下鉄に乗ったりする"ヘンな要求"にも笑って応えてくれたジャコとは、なぜかウマが合っていたのだ。

 ジャコは、ぼくと同じ1951年の生まれ。1976年にベーシストがジャコに交代してからのウエザー・リポートの一員として、82年からは自己のバンド、ワード・オブ・マウスで毎年のように来日した。

 フレットのないエレキ・ベースで絶え間なく細かいフレーズを走らせ、"カーン!"と高音のハーモニクスを響かせる。エフェクターを使って深く豊かなサウンドをうならせる斬新な手法と超人的なテクニックでジャズ・ベースの新しい世界を築いた革新者ジャコ・パストリアス。

「フロリダのパンク兄ちゃん」から「革新的な天才ベーシスト」となったジャコは、自己のバンドを結成した82年あたりから奇行に走るようになった。

 お堀にベースを投げ込んだり、ケンカして自慢の長髪に火をつけられたり、怪我をしたり。逮捕され、ついに精神病院にも入れられて、音楽界から見限られた状況に陥ったジャコ。

 最後に会ったのは、マンハッタンのピア(桟橋・埠頭)で行なわれたビーチ・ボーイズの野外コンサート。

 ヨレヨレでドロドロになったジャコがなぜそこにいたのかは不明だけれど、ぼくを見つけて嬉しそうに笑いながらくれた飲みかけのビールを、複雑な気持ちで飲んだ。

 ジャコは、翌年、脳血管破裂で逝った。

ジャコ・パストリアス:Jaco Pastorius (allmusic.comへリンクします。)
→ベース奏者/1951年12月1日~ 1987年9月21日