2004年のデビュー以来、着実に良質な世界を生み出し続けている宮下奈都の新作は、若い調律師が主人公の長編小説だ。
 高校生の外村は、些細なきっかけで、体育館にあるピアノを調律にきた板鳥宗一郎と出会う。彼の神聖ともいえる調律の仕事に魅せられ、外村は調律師の道を歩む決意をする。専門学校を卒業後、板鳥が勤める楽器店に就職し、調律師としての新人時代が始まる。
 外村はよく悩み、考える。仕事について、ピアノについて、良い音とは? それを見守る板鳥をはじめ、先輩たちの眼差しが時に厳しく、時に優しい。やがて外村は才能を超えた、大切で確かな資質を自覚し調律師として成長していく。
 ここ数年、これほど洗練された文体、ひたむきな想いを感じた小説はない。人は時として、多忙を言い訳に心を失くす。そんな時、この本を取り出し、噛みしめるように、1行ずつゆっくりと読んでいきたい。そして忘れていた言葉や気持ちを確かめたい。そんなことを思わせる小説である。

週刊朝日 2016年2月5日号