田坂さんら科学者の意見は、結局、翌95年3月20日の地下鉄サリン事件を防ぐことができなかった。田坂さんは、「警察はなぜ、サリンの残留物が検出された時点で教団施設を強制捜査しなかったのか。それができていれば、地下鉄サリン事件は防げたのでは」と考えている。

 オウムがサリンを製造しているとの疑惑が深まるにつれ、田坂さんにも科学捜査研究所から意見を求められることがあったという。再びサリンがまかれたらどうするのか、防護する方法はあるのか。電話でも意見を交わした。奇妙なことも経験した。電話が終わった瞬間、無言電話がかかってくることがよくあったのだ。「今考えると、盗聴されていたのかもしれません」(田坂さん)。

 皮肉にも、地下鉄サリン事件が起き、オウムに強制捜査が入ったことで河野さんへの疑いは晴れた。4月21日に朝日新聞が河野さんへのおわびを掲載。すると、横並びで他紙やテレビ局も続いた。6月19日には、野中広務・国家公安委員長(当時)が河野さんに面会して謝罪。自らもサリンの被害をうけた河野さんは、約1年ぶりに名誉回復された。遅すぎる謝罪だった。

 田坂さんは、2002年にICUを退職し、アジアやアフリカの農村リーダーを育てる「アジア学院」(栃木県那須塩原市)の学長に就任した。世界中から集まった学生たちは、日本で農薬を使わない有機農業を学ぶ。その技術を自らの国に持ち帰り、飢えの問題を解決する活動をしている。

 アジア学院の学長を退任して79歳になった田坂さんは、現在でもブータンやマレーシアに通い、有機農業を広める活動を続けている。日本人が安い価格で食べ物を輸入して恩恵にあずかっている一方で、アジアやアフリカの農民が農薬汚染で失明したり、神経の病気にかかったりしている。田坂さんは、河野さんと初めて会った時と同じように、そういった人々の話に耳を傾け、科学的な事実をわかりやすく説明している。

「世界中で使われている有機リン系の農薬は、サリンのように急性の毒性はありません。それでも、生物の神経に悪影響を与えるという点では同じです。有機リンが子どもたちの将来に与える影響はわからないことが多い。日本人も、農薬に汚染された食べ物を大量に食べているんですよ。なので、日本では有機農業で作られた作物を給食に使う活動もしています」

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松本サリン事件は終わっていない