しかも、時間とともにその状態も変わっていく。池井多さんは大学時代に「外こもり(自宅以外の場所でひきこもること)」、30代で「ガチこもり(外との関わりを断ち、自宅・自室から出ない状態)」を経験し、現在も必要なとき以外では外出しない「ひきこもり」だ。何をきっかけに、どんな思いで過ごしてきたのか。

 初めて自宅から出られなくなったのは23歳のときだった。就職が内定していた大手企業の入社式を目前に控えた朝だった。布団から起きられず、一歩も外に出られなくなった。内定を辞退し、2年間は大学を留年。アパートから家賃の安い寮に移り、学費を稼ぐために必死で外に這い出て、塾でアルバイトをした。精神科でうつ病と診断を受け、治療も始めた。しかし、卒業するとまた動けなくなった。

「挫折体験をきっかけにひきこもる人は多いのですが、私はそうではありません。当時は理由もわからず、どうしていつも自分はこうなってしまうのだろうと苦しんでいました。後になって、母親が望むような人生を歩いていくことを拒否していたのだと気付きました」

 父は高卒で会社員になり、四年制大学を卒業した母は自宅で学習塾を営んでいた。物心ついたときから母は父に聞こえるように、

「お父さんみたいになっちゃいけない。○○大学に入りなさい」

と難関国立大学の名前を繰り返した。英才教育として幼少期からバイオリンを習わされ、学校のテストは98点でも「なぜ100点じゃないの」と責め立てられた。思い通りにならないことがあるたびに、母は包丁を手に

「お母さん、死んでやるからね」

と脅された。その言葉は「お前を殺してやる」と言われるよりも何倍も怖く、身動きが取れなくなった。小学校低学年には死にたいと思うようになった。母が選んだ中高一貫校に通ったが、そこで出会った同級生は何代も続く家元の子や資産家、医者の子など生活レベルの違う家の子ばかり。強迫神経症に悩まされながら、なんとかコミュニティーに食い入ろうと、高校では生徒会長も務めた。

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大学合格はゴールじゃなかった… 母の一言