他にも「PC-FX」のように、この世代の競争の“敗北”によって、ハード事業から撤退したメーカーもある。今となっては、バンダイやNECがゲーム機本体を複数出していたことを知らない人も少なくないだろう。

 結果的にプレステ、サターン、64の3つが勝ち残ったが、この3機種でも熾烈な価格競争に晒された。プレステは当初3万9800円で発売されたが、最終的には1万5000円に、サターンは4万4800円が2万円に、64は2万5000円が1万4000円に下げられている。プレステとサターンに限れば、6割近い値下げ率だ。“勝ちハード”でもここまでの値下げを強いられたのは、例のないことだった。すると、この苛烈な競争から経営が逼迫する企業が現れはじめる。

■競争から脱落したセガ、DVD再生と互換機能で“王者”維持したPS2

 プレステ、サターン、64の三つ巴の競争からいち早く“次世代”に打って出たのは、セガ「ドリームキャスト」(1998、以下、ドリキャス)だった。そもそも、サターンはゲーム機の売り上げ台数こそ64にかろうじて勝利したが、96年3月に定価を2万円に下げると、売れば売るほど赤字になるゲーム機となっていた。そのため起死回生の策として、いち早く次世代機を投入する必要性に迫られていた。

 そんな中、自らに“ムチ”を打つ形で、追い風を吹かせた。

「セガなんてダッセーよなー」「プレステのほうが面白いよなー」

 子どもたちのそんな会話を耳にして落ち込む男性のCMを覚えている人も多いだろう。そう、セガの湯川英一専務(当時)だ。実在する同社の人物をドリキャスのCMに起用し、自虐的なフレーズで話題をさらったのだ。

 本体の性能でも、当時普及しつつあったインターネットのアナログモデムを標準搭載し、ネットを介した対戦や協力プレイを本格的に可能にしたのが特徴だった。だが、まだ当時はアナログ回線からISDNへの移行期で、プロバイダ料金や通信料金も従量制を採用していたところがほとんど。ネットゲームの爆発的な普及には至らなかった。ただ、マイクロソフトのOS「Windows CE」を内蔵し、インターネットの閲覧やメールのやり取りも可能するなど、時代を先取りしていた。

 こうして発売前の知名度は高かったドリキャスだが、いざ発売したところ、部品の供給が追いつかず、初回出荷量を大幅に減らすことになった。これに伴い主要ソフトの発売延期が相次ぎ、足並みが揃わなくなってしまった。この責任を取り、湯川専務も常務に降格し、湯川“元”専務になるという人事がCMで発表された。

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初代“王者”の逆襲