新聞記者は人を批判することも多い。当否は別として、自らが批判されること自体は謙虚に受け止めなければならないと思っている。ただ、高木氏は彼にとって「味方」ばかりの現場にいながら、私に接触しようともしなかった。記事はこう始まっていた。「あれが『新聞記者』だというのか」。少なくとも私は、百田氏の言い分を聞いた。

「なぜ声を掛けてくれなかったのですか」。実は、高木氏に電話をかけて直接、質問したことがある。高木氏も「ちょうど話が聞きたかった」という。「では会いましょう」と持ち掛けると、突然、何の脈略もなく罵声を浴びせられた。「あんたの都合なんか知らないよ」「つぶすからな」「ヘビみたいな男だ」「受けて立つよ。おれは産経の顔だからな」。まだ直接向き合ったことさえない社会人の発言ではない。

 仕方がないので、産経新聞社広報部に同じことを尋ねた。「(百田氏講演会の)傍聴記だったため直接の取材は控えましたが、今後は可能な限り取材に努めます」という答えだった。可能な限り取材する。メディアとしてあまりにも当然のことだが、それが欠落していた産経の報道は、「米兵が日本人救助」虚報や私に関する記事に限ったことではなかった……。