――浪人生活を経て大学に進学。足のハンディは感じませんでしたか。
大学へは義足で通っていたんですが、特に支障はありませんでした。新しい友人もできてお酒を飲みに行ったり、バックパックを背負って一緒にアジアや中近東を旅したり。楽しかったですね。
旅行は松葉杖を持って片足で行っていましたが、不便はなかったです。フィリピンで睡眠薬を飲まされて身ぐるみはがされて、困ったこともありました(笑)。
――パラアイスホッケーを始めたきっかけは、何だったのでしょうか。
大学の時からゴルフをやったり、ジムに行って泳いだり、スポーツもよくやっていました。最初はプールで足を見られることに抵抗がありましたが、慣れると気にならなくなりました。
パラアイスホッケーと出会ったのは26歳のときです。1998年の長野のパラリンピックを見た友人から、「安中もやってみたら」と教えてもらったことがきっかけです。
それで体験会に参加してみたら、「初めてなのに上手だね」と周りにすごくおだてられて。それで本格的に練習に参加することにしたんです。でも、その瞬間から急に「声出せ!気合入れろ!」と言われるようになって(笑)。今さら体育会系か……と少し引いちゃったんですけど、続けるうちに楽しくなりました。それで気がついたら日本代表の合宿に行くようになっていました。
まさか自分がパラリンピックを目指すことになるとは思ってもいませんでしたし、バンクーバーでのパラリンピックで銀メダルを取れるとも思いませんでした。
――「平昌パラリンピック」に向けての意気込みをお願いします。
足を切断したとき、父に「こんな足になり、結婚も子どもも無理だと思う」と言ったことがあります。でも実際は、大学に行き、友人にも恵まれ、就職して、結婚もし、いま中学1年と小学3年の子どももいます。スポーツも思い切りできて、不自由さを感じることはあまりなかったです。
平昌パラリンピックでは少しでもいい試合をして、同じようにがんと闘っている子どもたちや、障がいをもつ方たちに、希望を届けられたらと思います。
「パラアイスホッケーをやってみたい」と思ってもらえるように頑張りたいです。
(取材・文/安楽由紀子)