雅子スペシャルのニコンF3を中央に、右からニコンAF600、28Ti、TW ZOOMとニコンのカメラとレンズ群。作品、記録、記念撮影用と目的と場所に応じて使い分けている
雅子スペシャルのニコンF3を中央に、右からニコンAF600、28Ti、TW ZOOMとニコンのカメラとレンズ群。作品、記録、記念撮影用と目的と場所に応じて使い分けている
ニコンF3の裏にはNORTH POLE EXPEDITION(北極遠征)MASAKO IZUMIと刻まれている。まさに和泉さん専用のカメラなのだ
ニコンF3の裏にはNORTH POLE EXPEDITION(北極遠征)MASAKO IZUMIと刻まれている。まさに和泉さん専用のカメラなのだ
北極でのオーロラ。右に月が見える。満月のオーロラの写真は珍しいが、和泉さんは「私と行くと、必ずオーロラに出合えます。撮影は簡単ですよ。絞り開放で無限遠。どうせ相手はピンボケですから」と笑った
北極でのオーロラ。右に月が見える。満月のオーロラの写真は珍しいが、和泉さんは「私と行くと、必ずオーロラに出合えます。撮影は簡単ですよ。絞り開放で無限遠。どうせ相手はピンボケですから」と笑った
ホッキョクグマが後ろ脚で雪を蹴っている姿がかわいい。スノーモビルで並走しながら、50ミリレンズで撮ったという
ホッキョクグマが後ろ脚で雪を蹴っている姿がかわいい。スノーモビルで並走しながら、50ミリレンズで撮ったという

 女優として活躍している和泉雅子さんは1985年に北極に挑戦し、89年には日本人女性で初めての北極点到達を果たした。その過酷な冒険に同行し記録したのは、雅子スペシャルと名づけられたニコンF3だった。

――写真を始めたのは、いつごろですか

 日活のころは仕事がら撮るよりも撮られるほうが多かったものですから、写真はなかなか覚えなくて……。25歳を過ぎて、山登りにカメラを持っていったのが初めてです。記念写真でしたけど、途中で撮れてるかなと気になってカメラを開けて中を見て、すべて台なしにしてしまいました(笑)。その後、撮影も巻き上げも自動だからと、周りからコンパクトカメラをすすめられ使い始めたんですが、それさえも操作がわからなかったんですよ。わざわざ写真屋さんでフィルムを入れてもらっていました。(笑)

――85年の北極遠征での撮影はどうしたんですか

 慌ててニコンにカメラを習いにいきました。隊員は5人でしたが、カメラを持って記録するのは隊長の私の役目。講習はマンツーマンで、銀座に1カ月以上通いました。そこで初めてフィルムの入れ方やシャッターの押し方などを知ったんです(笑)。講習を受けたときのカメラはニコンF3。当時、植村直己さんが北極点で使った実績がありましたし、AE機能がついていたので、初心者の私にはぴったりのカメラでした。

――北極には、やはりF3を持っていったのですか

 はい、耐寒用のF3を2台、植村スペシャルです。金具部分が糸になっていたり、防寒服の上からぶら下げるためにひもが長めだったり、ボディーもチタン製で頑丈です。北極の氷って硬いんですよ。そこに木のソリでぶつかったり、ひっくり返ったりしましたけど、トラブルはなかったですね。ニコンでは、階段を引きずり下ろしてカメラの衝撃テストをしたと聞きました。レンズも耐寒用の25~50ミリと70~210ミリの2本を持っていきました。植村スペシャルは誰も使わないので、その後ニコンから譲り受け、今では雅子専用になっています(笑)。雅子スペシャルは毎年、必ず北極遠征に携行しています。

――北極では、どのようなことに注意しますか

 フィルムはゆっくり巻き上げないと切れてしまいます。温度差にも気をつけます。カメラを外から急に室内に入れると温度差で壊れるんです。フィルム交換も、ダークバッグを使って屋外でしなくてはならない。ファインダーをのぞくときも注意が必要ですよ。目を付けないことです。寒さで皮膚がくっついてしまいますからね(笑)。北極では、すべての動作をゆっくり注意深く行うことが肝心です。

 ニコンF3は、もう体の一部になってますね。北極だと、光を見てすぐに絞りF8とかわかるんですけど、都会ではどう撮っていいのかわからないんです。(笑)

――フィルムは何を持っていきましたか

 2カ月間の遠征で、フジのリバーサルフィルムISO100を500本持っていきました。フジは青が美しく撮れるので、北極の氷や海の冷たさを表現するにはとてもいいんです。

――野生動物はどのように撮影するんですか

 警戒心を緩めるために、動物のまねをして近づいて撮るんです。白いのを着て足に動物の毛を模したファーを付けたり、動きや鳴き声をまねするんです。トナカイを撮ったときは400ミリレンズを手持ちで、葡匐(ほふく)前進しました。ひじを三脚代わりにして撮影したおかげで、一晩じゅう腕がしびれてしまいました。(笑)

※このインタビューは「アサヒカメラ 2005年2月号」に掲載されたものです