社会学者・岸政彦の『断片的なものの社会学』は、分析できないものへの愛おしさに満ちた、実に文学的なエッセイ集だった。多くの文芸編集者もそう思ったのだろう。その後ほどなくして、彼は小説を書くようになった。

 岸の3作目となる、『図書室』の表題作は、大阪の古い団地に暮らす50歳の「私」のある日曜日を、回想とともに描いている。彼女の眼前に浮上してくる過去は団地が建った頃、10歳の自分が見た光景だ。

 母子家庭で育った「私」は授業のない土曜日の午後になると、夜の仕事をしている母を寝かせておくために、近所の公民館の図書室で本を読んで過ごした。そこである時、彼女は別の小学校に通う同じ年の少年と知りあう。仲良くなった2人はよく話をするのだが、背後から聞こえてくるような大阪弁のテンポのいい会話に、私はぐいっと引きこまれてしまった。話題は他愛のないものなのだが、いつしか2人は、人類滅亡後にどうすれば2人が生き残れるかと意見を交わすようになる。偏った知識の断片が小学生の男女の危機感を高め、結束を深くしていく過程が微笑ましく、こちらの記憶まで呼び覚ます。

 40歳を過ぎたあたりから、私が今ここで見ているものに、別の何かが重なるようになってきた。乳母車を押す女性に亡母が、深夜のビルの明かりに新入社員の頃の自分が……現在と過去がすっと絡みあい、こうして生きている現実に、奇妙な奥行きと儚さを感じてしまうのだ。

 幼くも真剣だったあの頃の自分と、その近くに確かにいた人々が蘇ってきた「私」も、そんな思いを抱きながら今、新たな日曜日を生きている。

週刊朝日  2019年8月9日号