元朝日新聞記者 稲垣えみ子

 元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 メキシコシティでカルチャーショックを受けたことの一つが、ありとあらゆる路上で商売が繰り広げられていることであった。

 スナック菓子、ドリンク類、民芸品、カバン、靴紐、焼き芋などの屋台はもちろん、調理用鉄板にテーブルや椅子を構えた本格食堂も少なくない。中でも驚いたのは、自作と思しきタンスだのテーブルだのの大型家具を、歩道のかなりのスペースを占拠して並べているおじさんを見た時であった。こんなでっかいものまで売っちゃうんですね!

 と思えば、身一つで楽器を演奏したり歌っている人もいるし、ただ座ってお金を募っている人もいる。あと高速道路が渋滞を始めると、間髪入れずどこからかわらわらと物を担いだ人が現れて、ナッツやら水やらフルーツやら木彫りの皿やらを売って回る。あらゆる機会を逃さず商いをするというエネルギーが街中に溢れかえっているのである。

 と、これだけ書くと、貧しい人の多い国にありがちな光景と思われるかもしれないが、メキシコが一味違うのは、そのような人を見下したり邪険にしたりする空気が全くないことだ。みな普通にモノを買うのはもちろん、ただ店の人とニコニコ雑談している人もよく見かける。商売人同士の助け合いもすごい。あるオシャレなアイス屋さんに並んでいたら、アボカドを担いだおばさんが店内で声を上げて行商を始めたんだが、店の人も客も全く平然としている。日本なら店長が出てきて「あの、そういうの困るんで」となるに違いないですよね。

 この不思議な空気感の中にいると、自分の中の価値観がグラグラしてくる。それは何かというと、人にとって一番大事なことは何かということだ。ルールを守ること。人に迷惑をかけないこと。それも大事。でもそれより何より大事なことは、生き延びるということではないだろうか。生き延びるために必死になる。それは恥ずかしいことでも何でもなく人としての真っ当な態度である。メキシコの人たちにはそのような深い共感があるように思うのである。

AERA 2024年4月8日号

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稲垣えみ子

稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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