レース前に検車場で自転車を整備する八日市屋浩之さん[写真:(株)JPF提供]

 アラフィフになっても尚、競輪選手として最前線で活躍し続ける「小さな巨人」こと八日市屋浩之さん(48)。その秘訣を聞いた。AERA2024年3月25日号より。

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 競輪界に「小さな巨人」がいる。身長158センチの八日市屋浩之さん、48歳。1997年のデビュー後、3年弱で一流選手がそろう「S級」に昇格。以来、ほぼ一貫してS級で活躍を続ける選手だ。

「自分でもびっくりです。40歳くらいでクビだなと思っていたので」

 競輪の決まり手には「逃げ」「捲(まく)り」「差し」「マーク」がある。最初から前に出て風の抵抗を受けながら走りきる体力勝負の「逃げ」、残り一周から半周で前に出る「捲り」に対し、先行型の選手の後方にいて最後の直線で前に出て1着になるのが「差し」、2着が「マーク」だ。八日市屋さんは決まり手の7割近くが「マーク」。マーク屋の選手は、先行選手に最後の直線まで風よけになってもらう代わりに、後ろから追い抜こうとする選手をブロックする役目を担う。レース勘や瞬時の判断力がものを言う奥深い技術が必要でベテラン選手に多い戦術だ。

「ゴール前でどれだけ自分の脚力を残せているかが勝負。体力に任せてがむしゃらにペダルを漕ぐだけでは勝てません。そこで僕にも勝機が生まれる」

 そう話す八日市屋さんも新人時代は、トップスピードが光る花形の先行型選手として頭角を現した。競輪学校を卒業した同期生同士で競う97年のルーキーチャンピオンレースで優勝。S級にも自力勝負を勝ち抜いて昇格した。だが、トップ選手の脚力には通用しないとすぐに悟った。

「こんなに練習しているやつはいないぞって思うぐらいハードな練習を続けてきましたが、トップスビードを維持して走れる距離は大して伸びませんでした。脚力のあるうちに追走技術を磨こうと、S級に昇格して間もなく追い込み型に転向しました」

 競輪は所属地区をベースに「ライン」と呼ばれるチームごとに列を作って走る。「競輪は人間関係が大事」といわれるゆえんだ。石川県出身の八日市屋さんは「中部ライン」に属するが、東海出身の選手が数で圧倒し、北陸の選手は肩身が狭いのが実情だ。S級になるとさらに北陸出身者は限定される。そんな中、八日市屋さんは独特の立ち位置にいる。

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渡辺豪

渡辺豪

ニュース週刊誌『AERA』記者。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図~普天間移設の内幕~』(第14回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞)、『波よ鎮まれ~尖閣への視座~』(第13回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞)など。毎日新聞で「沖縄論壇時評」を連載中(2017年~)。沖縄論考サイトOKIRON/オキロンのコア・エディター。沖縄以外のことも幅広く取材・執筆します。

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