撮影:時津剛

時津剛さんは10年ほど前から東京の周縁を流れる多摩川の河川敷に通い、ブルーシートや廃材で建てた小屋に暮らす人々を撮影してきた。

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彼らの出身地は北海道から沖縄県までさまざまだ。元の職業も派遣作業員、建設作業従事者、調理師、トラック運転手など多岐にわたる。

「やはり、バブル経済崩壊の影響が大きいですね。景気が悪くなって失職した人もいるし、派遣労働者がすごく増えたじゃないですか。それで派遣切りにあった。あと、社長が失踪したという人がえらく多かった。まあ、裏のとりようがないんですけれど」と、時津さんはしみじみと語る。

景気の波に翻弄(ほんろう)され、さらに不運が重なり、流れ着くように多摩川の河川敷にたどり着いた人たち。そのうちの1人が語った「タイミングが悪かったのさ」という言葉が脳裏にこびりついている。

「彼らの話を聞いていると、自分ではどうにもならない不可抗力でこうなってしまったことをすごく感じる。なので、ぼくたちと彼らを隔てているのは、ほんのちょっとの運の差でしかないんだな、と思ったりする」

その一方で、「ヒューマニズム的な動機とか、かわいそうな人たち、というスタンスで彼らを撮ったわけではない」と言う。

「変な同情心とかは全くなく、クールというか、ドライな距離感で撮影した。でも、そんなアプローチだったからこそぼくを受け入れてくれたのかもしれない」

時津さんは、多摩川の河川敷で暮らす人々の存在を通して「東京の排他性」を撮りたかったのだという。実際、「彼らは言うんです、東京は住みにくいよ、って」。

撮影:時津剛

時代性の映像化を試みたが

1976年、長崎市生まれの時津さんが大学進学を期に上京したのは1994年。それから30年。日本の社会は大きく変わったと感じている。

「特にこの十数年はインターネットやSNSの普及で情報量がものすごく増えた。ところがその実態は、見出しのような断片的な情報のやりとりでしかなく、それで物事を『知っている』と言う。本質的なことに目を向けなくなったし、見えづらくもなった。そのことがずっと引っかかっていた。そんな時代性を映像化できないかと思った」

それを表現する素材として目をつけたのが「ブルーシート」だった。

「ブルーシートって、何かを覆って見えなくするときに使うじゃないですか。なので、ブルーシートを撮っていけば、何かが見えてくると思った」

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ホームレスを写した学生時代