撮影:百々俊二

 9月16日から入江泰吉記念奈良市写真美術館で百々(どど)俊二さんの写真展「よい旅を 1968-2023」が開催される。そこに飾られる作品は50年以上にわたる写真家人生の軌跡である。

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1968年1月、当時、九州産業大学芸術学部の学生だった百々さんは長崎県佐世保市を訪れた。

「あのころはベトナム戦争の時代で、佐世保で『原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争』というのがあったんです。野宿するような感じで滞在して反対闘争を撮った。そこで、ぼくは写真家になろうと決めた」と、百々さんは振り返る。

 47年、大阪生まれの百々さんは高校時代、「アサヒカメラ」や「アサヒグラフ」をよく見ていた。

「父親が朝日新聞に勤めていたので、タダで手に入ったからね。将来は何か表現に携わりたいな、と思ったけれど、絵では日本画家の兄貴にかなわない。それならば写真かな、っていう感じでした」

 福岡県・博多にある九産大と、東京の日大芸術学部を受験すると、両方に合格した。

「でも日大には行かなかった。ぼくはゴリゴリの大阪人ですから。それに、受験で行った博多がすごくよかったんですよ。路面電車に乗ると、博多弁でしゃべっている女子高生がめちゃくちゃかわいい。ラーメンもうまいしね。それでもう、ここに来ようと、単純に思った」

撮影:百々俊二

 しかし、九産大の写真学科に入学したものの、具体的に何をするのかは決めていなかった。

「そんなとき、佐世保へ行って、『ああ、これやな』と思った。とにかく、(リアリズムを追求した写真家)土門拳が好きでしたから」

 とは言っても、報道写真家を目指したわけではないという。

「どちらかといえば、作家志向だった。まあ、そんなふうにしてぼくの写真家人生が始まったわけです」

松本清張とロンドンへ

 百々さんは「土門拳がいいな」と思いつつ、「アレ・ブレ・ボケ」の写真で知られる森山大道にも強く引かれた。

「今でも鮮明に覚えてますけど、本屋の写真コーナーに行ったら森山さんの写真集『にっぽん劇場写真帖』(室町書房、68年)が平積みにしてあった。1冊980円。ラーメン1杯100円のときです。それを2冊買って、1冊はボロボロになるくらい見た」

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田辺聖子が書いた序文