昔の技術に追いつきたい
節目となったのは11年。「一念発起して」、元旦から毎日ダゲレオタイプで撮影することを自分に課した。「要するに修行です」。
新井さんはダゲレオタイプの撮影について、「ウルトラマンみたいなもの」だと言う。
「薬品で処理した銀板は不安定なので、すぐに撮らなければならない。まあ、3分以内というわけではないですが、気温の高い夏であれば1~2時間以内に撮影して、現像しなければならない」
そんな理由もあって、主に身近なものにレンズを向けた。
「とにかく『撮る』のが目的ですから、例えば、コンビニの袋を撮ったりする。こんなつまらないものを、と思うんですが、出来上がりを見ると、意外と面白かったりする。それによって視野が広がった。そういう意味でもやってよかったと思います」
新井さんが目指す目標は、未来ではなく、過去にある。
19世紀、ダゲレオタイプが誕生すると、人々は「自分の姿が写る」ということに熱狂した。写真師たちは客の期待に応えるために腕を競い合い、ダゲレオタイプの技法は驚くほど進化した。
ところがその後、安価なガラス板に写し撮る技法が発明されると、ダゲレオタイプは駆逐され、そのノウハウは失われてしまった。
「当時のダゲレオタイプのクオリティーは『異常』と言っていいくらいすごいんですよ。そこにはそう簡単に到達できないことはわかっているけれど、できるだけそこに近づきたい。なので、毎日、筋トレをするみたいに撮影する」
やらないと写らなくなる
写真の本などで紹介されるダゲレオタイプは単なる過去の技法でしかない。しかし、「実際のダゲレオタイプはすごく厚みがあるというか、体を通して経験しないと永久にわからないでしょう」と、新井さんは語る。
一方、ダゲレオタイプを知る人からは必ずといっていいほど、「大変でしょう」と言われる。
「デジタルカメラだったら失敗しないし、すぐに見られるのに、なぜ、あえてダゲレオタイプで写すんですか、ということだと思うんですけれど、ぼくにとってのダゲレオタイプは、現代の写真とは別のメディアです。だから、大変な写真をやっているという意識は全くない。ただ、ダゲレオタイプで写しているだけです」
7月5日から東京・赤羽橋のPGIギャラリーで写真展「日日(にちにち)の鏡」を開催する。
長年、撮影するうちに日々の写真が作品になった、ということだろうか?
「いや、今でも修行です。ダゲレオタイプで撮っていると、撮影テーマとか構図よりも、まず、『写す』という行為に対して謙虚にならざるを得ない。本当に自信はないし、やらないと写らなくなる。これは終わりのない修行なんです」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】新井卓写真展「日日の鏡」
PGIギャラリー(東京・赤羽橋) 7月5日~8月23日