千葉県鎌ケ谷市の職員として働くオルガ・ナセドキナさん(撮影/上田耕司)
千葉県鎌ケ谷市の職員として働くオルガ・ナセドキナさん(撮影/上田耕司)

 ロシアがウクライナに侵攻してから1年。戦争の長期化は必至の情勢で、終わりは見えない。そんななか、故郷の戦禍を逃れて日本にやって来たウクライナ避難民の在留者は2191人いる(3月1日現在)。首都圏に住む、ウクライナ避難民の女性たちから、日本での生活環境や祖国への思いなど、今の率直な気持ちを聞いた。

【ウクライナから避難して日本に住んでいる女性たち】

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 千葉県鎌ケ谷市に住むオルガ・ナセドキナさん(33)は、昨年12月から同市の会計年度任用職員として働いている。週に3~4日出勤し、総務企画部企画財政課でイベント企画の仕事などをこなす。

 キーウに住んでいたオルガさんが長男のヤコブさん(6)、次男のペトロさん(3)を連れて、鎌ケ谷市に避難したのは、昨年10月のこと。

 避難民の行き先はポーランドやドイツが多く100万人を超え、次いでチェコ、イタリア、スペイン、イギリスなど地理的に近いヨーロッパが圧倒的に多い。日本は昨年5月時点で1000人を超えたが、それから1年近くたっても全在留者数は、前述のように2191人とそれほど増えていない。

 オルガさんは日本を選んだ理由をこう話す。

「受け入れ先はヨーロッパから埋まって、アジアはそんなに人気がない。私は日本の支援プログラムを見て、まず、飛行機のチケットを無料で買ってくれること、支援金があり、保育園に入れさせてくれることを知って、日本を選びました。ポーランドでは保育園を探すのがすごく難しいんです。私が働くには子どもがまだ小さすぎるので、絶対に保育園に入れる必要がありました」

 日本の中でも鎌ケ谷市を選ぶことになったのは、出入国在留管理庁が行う自治体などとのマッチングだった。オルガさんは「東京に近くて交通アクセスがいい」という理由で鎌ケ谷市を希望した。市も事前に受け入れ表明をしており、市営住宅の無償提供など受け入れ態勢ができたことから、昨年10月にマッチングが成立した。現在は市営住宅の3DKの部屋に子ども2人と住んでいる。

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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