イラクで、政府軍とアルカイダ系武装組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」の戦闘が激しさを増す。その背景にあるものとは。

 イラク北部の同国第2の都市モスルがイスラム過激派のアルカイダ系ISISに制圧された。6月10日、市内に現れた武装集団を前に、軍も警察も総崩れになって逃げ出した。

 全くの不意打ちだった。2011年末に米軍がイラクから全面撤退して以来、シーア派主導のマリキ政権の下で政治も治安も安定していた。中東の強権体制が次々と倒れた「アラブの春」でも揺るがなかった。4月末に投票があった議会選挙でマリキ首相の会派が第1党となった。そんなイラクの安定が、あっけなく崩れた。

 ISISはモスルからさらに南のティクリートを制圧し、シーア派の聖廟があるサーマッラに迫り、さらに「バグダッドを目指す」と宣言した。マリキ首相は、「国民はすべて銃を持ち、テロリストと戦え」と、訴えた。それに呼応するように、シーア派最高権威の大アヤトラ、シスターニ師は「ジハード(聖戦)」を宣言した。

 マリキ首相は国をあげての「テロとの戦い」という構図を示し、米国にISIS支配地域への空爆を要請した。

 しかし、スンニ派から出てきたのは全く別の図だった。スンニ派の、ハシミ元イラク副大統領は、今回の危機について、「ISISの動きの背後には、抑圧され、排除された者たちの反乱がある」とする。スンニ派の最高宗教指導者リファイ師も、衛星放送のアルアラビアに登場し、「マリキ政権に対するスンニ派部族の反乱である。政権は人種差別体制である」 と非難した。同師はアルカイダなど過激派の宗教者ではなく、伝統的な宗教者である。

 マリキ政権の人権侵害について、国際的人権組織「アムネスティ・インターナショナル」は、13年の死刑執行が169人で、イラク戦争後最多とし、「死刑判決の被告は弁護人を付けることができず、拷問や虐待で得られた“自白”による」と報告書で批判した。

 今回の危機の背景に人口の4分の1を占めるスンニ派の不満があり、マリキ政権の国内統合の失敗という構図が浮き上がる。それを武力で排除するならば、シーア派対スンニ派の内戦にもなりかねない。米国は「テロとの戦い」から距離を置いて、空爆は行わず、300人の軍事顧問団の派遣にとどめている。

AERA 2014年7月7日号より抜粋