政界引退を表明した若狭勝氏(撮影/上田耕司)
政界引退を表明した若狭勝氏(撮影/上田耕司)

 希望の党の小池百合子代表の側近だったが、先の衆院選で落選し、政界から引退した若狭勝氏。衆議院第一議員会館から荷物を運び出す1時間前の10月26日午後、段ボール箱が積み重なっていた1013号室で約1時間にわたり、インタビューに答え、その舞台裏を語った。

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――小池さんをずっと支えてきたが、引退となった。

「今まで小池さんを支えてきたこと自体は全然間違いではなかったと思います。相場、株価も一直線に右肩上がりで行くことはないので、いったん、上がったり下がったりしてまた上がるものなので。 先々、日本の政治を変えていかなきゃいけないという路線というか、方向性は間違っていないと思う。希望の党はがんばってこれからやっていってもらいたいと思っています」

――比例の近畿ブロックで樽床伸二さんが1位、井上一徳さんが2位。九州ブロックでは中山成彬さんが1位でした。若狭さんが東京比例で単独1位になれなかったが、比例名簿は誰が決めたんですか。

「それは小池さん。私が仮に東京比例ブロックで単独1位でと言われたとしても、私は自分で候補者調整をしていた立場なので、たぶんそれは受けなかったかなと思います。お手盛りになっちゃうわけですからね。自分の利害関係抜きにしてやっていかなければいけないという思いはありましたから」

――小池さんと親しい関係の人が比例で優遇された?

「私は知りませんけど、少なくとも、そういう枠組みの比例の順番にしてほしいと、小池さんから言われていたので名簿を作りました」

――排除リストが事前に出回り、大騒ぎになりました。

「あれはまったく私は関与してないです。私と民進党側の玄葉光一郎氏が下案は作りましたが、まったく関わっていないところもあります。私は実質的に3分の1くらいで玄葉氏が決めていました」

――完敗の原因は「排除」という言葉と言われていますが、どのように分析していますか。

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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