それはソケットから始まった…(※イメージし写真)
それはソケットから始まった…(※イメージし写真)

 パナソニック株式会社(Panasonic Corporation)は、「フォーチュン・グローバル500 2014」(アメリカの経済誌フォーチュンによる世界企業番付)で、日本9位・世界106位に名を連ねる日本屈指の家電メーカーである。

 ところで、「Panasonic」だが、もともとは社名ではなく製品につけられたブランド名だった。旧社名は松下電器産業株式会社で、商号変更されたのは2008年のことである。戦前の1927(昭和2)年に制定された「ナショナル」の商標が長い間使用され、古い世代にはこちらのほうがなじみ深いかもしれない。

 この会社の歴史は、創業者・松下幸之助の歴史でもある。松下は「経営の神様」と異名を取り、丁稚(でっち)から身を起こして一代でこのワールド・エンタープライズを築き上げた、希代の実業家だ。

 1894(明治27)年、和歌山県海草郡和佐村(現・和歌山市禰宜)に生まれた松下は、困窮する一家を助け、小学校の卒業前に大阪の火鉢店に丁稚奉公に出る。まもなく、自転車店の奉公を経て、15歳のとき大阪電灯に転職。そこでソケットの改良に熱心に取り組んだ。

 だが、苦心の末に作り上げたソケットの試作品は上司に認められることなく、ここで独立を決意する。松下は1917(大正6)年、借家の住まいでソケットの製造販売を始めた。当初ソケットはなかなか売れなかったが、ある日、扇風機の碍盤(がいばん)を練り物で作ってほしいとの注文が舞い込み、その出来がよかったため注文が続出する。

 翌1918(大正7)年、松下は「松下電気器具製作所」を創設した。同時に手狭な家も転居し、新居を拠点に据えた。自身と妻、義弟、たった3人だけのスタートだった。そして、ここで生まれたのが、後世にまで名を残す「アタッチメントプラグ」、「2灯用差し込みプラグ」(いわゆる二股ソケット)である。これは必ずしも松下の考案ではなく、すでに製品も出されていたが、それらより品質がよく価格も3~5割安かったので、たちまち目玉商品となった。また、当初は代理店任せだった販売を変更し、問屋と直接取引を始めた。販路拡張の努力が功を奏し、それまで以上の売れ行きを実現した。従業員も20人を数えるまでに成長する。

 やがて、他の有力商品、自転車用角型電池式ランプやラジオなどレパートリーを広げていく中、1927年に角型ランプが完成。角型ランプ発売の際、「ナショナル」の商標を初めて使った。販売は大成功を収め、1年もしないうちに月3万個を出荷するまでになり、こうして「ナショナル」ブランドは確立していくのである。

 発展し規模を拡大していく製作所は、1935(昭和10)年に改組され、松下電器産業株式会社となる。この社名は「パナソニック」に引き継がれるまで存続した。

 当初は海外向け製品で使われ始めた「パナソニック」だが、「ナショナル」が米国で商標登録されており使用できなかったことがその動機だったという。しかし、これからの企業発展のシンボルとしてこれに一本化され、さらには、社名になるまでに至った。二股ソケットに始まった有為転変の社業、そして、松下自身の起伏に富んだ生涯も、このブランドの変遷に象徴されるかのようだ。

(ライター・佐野泰人)