ばるぼら(写真右) ネットワーカー。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』(翔泳社)ほか/さやわか(同左) 1974年、北海道生まれ。著書に『僕たちのゲーム史』(星海社新書)ほか(撮影/写真部・小原雄輝)
ばるぼら(写真右) ネットワーカー。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』(翔泳社)ほか/さやわか(同左) 1974年、北海道生まれ。著書に『僕たちのゲーム史』(星海社新書)ほか(撮影/写真部・小原雄輝)

 僕たちのインターネットはどのように語られてきたのか。『僕たちのインターネット史』の著者である、ばるぼらさん・さわやかさんがAERAインタビューに答えた。

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 1980年代のパソコン通信の時代から、90年代の黎明期を経て、現在まで。インターネットの歴史を「その時代の人が、どう思っていたのか」(さやわかさん)という視点を軸に描いた本書は、これまでインターネットが、どのように語られてきたのかを歴史的に網羅する「言説史」だ。

 雑誌の言説史は、インターネットの歴史と重なり合う。さやわかさんにとって雑誌は「書籍のように専門的ではなく、まさに〈雑〉というように、勝手に複数のカテゴリーを束ねているので、柔軟に拡がっていく」存在だった。例えば「テクノポリス」(徳間書店インターメディア)というパソコン雑誌。同誌が同人文化を扱うようになり、最終的には美少女ゲーム専門誌のようになる変遷から、80年代の日本では、インターネットは、その始まりにある「大企業や政府による情報の独占に対抗する」といった民主的な思想を欠いた「趣味」の文脈で受け入れられたと描く。

 黎明期の90年代は、インターネットへの入り口が、オーディオ誌「FM STATION」(ダイヤモンド社)、テレビ誌「TV Bros.」(東京ニュース通信社)、カルチャー誌「STUDIO VOICE」(INFASパブリケーションズ)など様々なジャンルに拡がったことから、インターネットがアングラ・サブカルチャーの文脈で受け入れられたと説く。

 ゼロ年代以降、インターネットの大衆化が進み、商業化がどんどん進行していく過程で取り上げられるのは、雑誌ではなく新書や書籍だ。それは、インターネットがオープンな存在ではなくなった時代の難しさと重なる。そこでは、言論の自由か管理かという単純な議論ではなく、どのような「倫理」でその両方の利害を調整するのかが迫られるのだ。

 そして現在、キュレーションという言葉に代表される、情報の価値判断という問題も浮上している。ばるぼらさんは、「ネットは、価値判断をすると批判される」から、価値判断をユーザーに委ねることを前提にした「フラットな情報配信」が行われがちな現状を指摘する。その風潮に対し、さやわかさんは、「ユーザーが正しく価値判断できるという思い込み自体がヤバイ」と言う。よって本書も「偏った価値判断のひとつ」とキッパリと位置づける。

「本書が、インターネットをビジネスとしてしか見ていない人たちへのカウンターになれば」(ばるぼらさん)

(ライター・本山謙二)

AERA 2017年8月7日