かつての聖火ランナーには「大きな物語」が課せられてきた。聖火リレーはナチス政権下の36年ベルリン五輪から始まった。大会は内外に向けたナチス・ドイツのプロパガンダで、聖火リレーはその一環だった。

 その後も、ランナーの役割は度々政治的な色彩を帯びた。64年東京五輪では原爆投下の日に広島で生まれた坂井義則氏が走り、敗戦から高度経済成長を遂げる象徴として世界に発信された。88年ソウル五輪では、日韓併合時に日本代表としてベルリン五輪にマラソン出場を余儀なくされた朝鮮半島出身の孫基禎(ソンギジョン)氏が。96年アトランタ五輪では黒人差別や反ベトナム戦争で闘ったモハメド・アリ氏。00年シドニー五輪では、アボリジニーの血を継ぐ陸上代表選手のキャシー・フリーマン氏が聖火台前に立った。

●何が発信されるのか

 近年の聖火ランナーにおける役割は変わった。それでもセレモニーには、その国の現在が透けて見える。江頭さんは言う。

「北京五輪では、中国が内外に大国の仲間入りを宣言するように北京市内の観光地をリレー経路に。ロンドン五輪では、(デイビッド・)ベッカム氏が聖火リレーの担い手になりました」

 ロンドン五輪の開会式は、シェークスピアからクールブリタニアまでを網羅し、成熟国家としてコンテンツを発信していく気概にあふれていた。

 20年の東京は何を発信するのか。ランナーは、そのなかを走るのだ。(編集部・岡本俊浩)

AERA 2016年8月29日号