9年間の留学から帰国した黒田は、西洋画を志す若者の教育にもかかわった美術団体・白馬会の結成に参画。1896年に設置された東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科の教育を任され、日本に近代美術を導入する中心的存在になっていく。

 翌年に開催された第2回白馬会展で発表された「智・感・情」は、今回の展覧会でもひときわ印象的だ。

「無背景に裸婦を描くなんて珍しいですよね。日本でも西洋でもない、新しい別の世界を描きたかったのかな」

現在、49の国と地域で映画が配給されている細田さん。舞台は意識的に現代の日本に絞っている。アニメーションならば、時代も国境も自由に作品をつくれるが、海外の映画祭やプロモーションに出かけるようになり、自分だけができる表現の価値について考えてのことだ。

「こうして人間・黒田清輝の人生と葛藤を見てくると、日本人クリエーターとして、初めて世界と対峙しようとした人なんだ、と思います。技術の巧拙とか関係ない。どうすれば日本人の美術が理解されるのか、日本絵画が世界の中で位置づけられるのか、近代日本を芸術的な面からプレゼンテーションしようとした人でしょう。現代の日本のクリエーターも、自分の殻にこもるのではなく、大きな目で世界と対峙する意欲を忘れてはいけないのではないでしょうか」 

(ライター・矢内裕子)

AERA  2016年5月2日-9日合併号より抜粋