無残な姿をさらす東京電力福島第一原発。リスクを意図的に軽んじてきた科学者の信頼も、崩れてしまった/2012年5月26日、福島県大熊町 (c)朝日新聞社 @@写禁
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無残な姿をさらす東京電力福島第一原発。リスクを意図的に軽んじてきた科学者の信頼も、崩れてしまった/2012年5月26日、福島県大熊町 (c)朝日新聞社 @@写禁

 様々なリスク管理において、参考になるはずの専門家の発言。しかしその信頼性は、福島原発事故をきっかけに大きく揺らいでしまった。近年のデータからも、それは明らかになった。

 科学技術白書(2012 年)によると、「科学者の話を信頼できる」とする人は震災前の半分程度になり、「科学技術の研究開発の方向性は内容をよく知っている専門家が決めるのがよい」という回答は、3分の1程度まで激減したという。ただし全分野で信頼を失ったのではなく、原発や地震の領域で目立った。

 リスクの大きさは、引き起こされる被害の深刻さと、その発生確率によって決まる。その計算は専門家たちが担ってきた。

 ところが福島原発事故で、その算術があてにならないことが明らかになった。業界の利益を優先してリスク評価をねじ曲げる専門家たちがいることが、わかったのだ。

 例えば、福島原発事故の5年前、東電は原子力安全委員会委員長に「津波が想定を超える頻度は数千年に一度程度である」という研究成果を用いて、原発の安全性を説明していた。しかし、その根拠は津波についてよく知らない電力会社の社員が中心になって、投票で津波の発生源や規模を決めたものだった。科学的な根拠はほとんどないにもかかわらず、結果だけは精緻に数値表現され、立派に見える科学論文に仕立てられていた。

 事故前、一部の専門家たちは、一般市民を「不合理なまでに原発を恐れている。それは間違ったリスク評価に基づいている」と見下していた。しかし、「事故の確率は低い」という専門家の評価を疑っていた一般市民の直感のほうが正しかったのだ。

 事故後のリスクコミュニケーションでも専門家の不手際が目立った。被曝によるリスクを、数字を示して、あるいは他のリスクと比較して「心配するほどでない」と伝えるやり方は、背後に説得しようとする意図があると疑われると、信頼を失ってしまう。

AERA  2015年3月9日号より抜粋