多摩ニュータウンで育った団塊ジュニア世代。幼いころから近所にたくさんの子どもが住む街で、毎日、空き地で野球をしたり、秘密基地を作ったり。「そのころからガキ大将タイプじゃなかった」(松本さん) (撮影/伊ヶ崎忍)
多摩ニュータウンで育った団塊ジュニア世代。幼いころから近所にたくさんの子どもが住む街で、毎日、空き地で野球をしたり、秘密基地を作ったり。「そのころからガキ大将タイプじゃなかった」(松本さん) (撮影/伊ヶ崎忍)
小竹向原の保育園で子どもたちが過ごすエリアはセキュリティーのガラス扉の奥になり、顔見知りの地域の子たちも入れるようになっている(写真:ナチュラルスマイルジャパン提供)
小竹向原の保育園で子どもたちが過ごすエリアはセキュリティーのガラス扉の奥になり、顔見知りの地域の子たちも入れるようになっている(写真:ナチュラルスマイルジャパン提供)
道路側にある「まちのパーラー」は大人も居心地がいい空間だ(写真:ナチュラルスマイルジャパン提供)
道路側にある「まちのパーラー」は大人も居心地がいい空間だ(写真:ナチュラルスマイルジャパン提供)

 大手広告会社での経験も、不動産ベンチャーを立ち上げたのも、すべては保育園をつくるため。異色の経歴をもつ経営者・松本理寿輝(りずき)さん(33)の経営する保育園が人気だ。

 松本さんが社長を務めるナチュラルスマイルジャパン経営の第1号園「まちの保育園 小竹向原」は、閑静な住宅街にある。誰でも自由に入れる「まちのパーラー」が併設され、一歩入ると焼き立てのパンとコーヒーの香りが漂う。週末は行列ができるほどの人気店。“孤育て”が進む中、目指すのは保育園が地域のインフラになることだ。

「地域で支え合うことができなければ、子どもも大人も安心して生活できない。親が孤立して子育てが苦しいと思ってしまえば少子化にもつながる。子どもたちが地域の大人同士をつなぐ社会的な役割も担っていると思うんです」(松本さん)

 六本木にある「まちの保育園 六本木」には他の保育園にない特徴がある。コミュニティーコーディネーターという職だ。子どもと保護者、保育士だけでなく、地域の企業や大使館、住民など、子どもたちを中心にあらゆる人をつなぐ仕事だ。

 担当する本村洸輔さん(31)は自分の子どもを通わせたいと訪れた園で、仕事内容が書かれていない求人に興味を持った。入社面接で松本さんに言われたのは「僕が突っ走ったら止めてね」とだけで最初は手探り。今では園内だけでなく地域の人の話にも耳を傾ける。仕掛けの種を見つけても、誰かから提案があるまで待つ。本村さんは言う。

「基礎を作っておくのが僕の仕事。与えられたものをイベント的にやるだけでは、子どもたちの心に響かないので」

 保護者にも「まちの~」の考え方は広がり、さまざまなアイデアが提案される。小竹向原の園では、子育てグッズ交換会や、パーラーが休みの火曜日に「まちのお茶会」を開く保護者もいる。子どもを預けるだけではなく、保護者たちも園をつくる重要なパートナーになっている。

 今では評判を聞きつけ、地元だけでなく都内各地から定員を大幅に上回る入園希望者が殺到する。

 松本さんが保育を目指したのは一橋大学時代。経営学が扱う「価値」って何?と悩んでいたころだった。補習で訪れた児童養護施設で、家庭の事情を抱える子どもたちと触れ合った。どこか陰がありながらも、ちょっと年上の訪問者と何をして遊ぼうかといたずらっぽい顔を向けてくる。「子どもってすごい」と、その明るさに励まされた。

 保育のことを知りたい。インターネットで調べ、周囲の友人や保育関係者に聞きまくり、情報と人を手繰り寄せた。日本の保育関係予算はOECD加盟国の中でも最低ライン。従事者の98%が女性……見えてきたのは課題ばかりの現状だった。漠然と「地域ぐるみの保育」で事例を示そうと、構想を描いた。

 だが、最初の就職先に選んだのは博報堂。ある保育関係者に「業界に入るより、まずは世の中を見てこい」とアドバイスされたからだ。博報堂では教育関連企業のブランディングに携わり、3年後に独立。ビジネスを現場で学ぶため仲間と不動産ベンチャー「フィル・カンパニー」を立ち上げ、駐車場の上空に建物を建て、テナントとして運営する事業を始めた。サッカーW杯南アフリカ大会に合わせた期間限定の「nakata.net.cafe」なども手掛けた。

 保育園の設立準備も、資金をためながら知人の園で実践を積んだ。認証制度の仕組みを理解し、業界分析し、長期経営のための事業モデルを考え、土地を探し、人を採用する……必要なことをすべて「因数分解」し、いつまでに達成するかエクセルで管理した。

AERA 2014年2月3日号より抜粋